今年は忘年会らしい忘年会が今日だけなのでさっぱりしたものだ。
美味しいものと気の置けない仲間がいたら、もうそれで最高。
他愛もない話をして、たくさん笑って、少しだけ大事な話をして。
しあわせだなぁ。
今年は忘年会らしい忘年会が今日だけなのでさっぱりしたものだ。
美味しいものと気の置けない仲間がいたら、もうそれで最高。
他愛もない話をして、たくさん笑って、少しだけ大事な話をして。
しあわせだなぁ。
今年最後の山へ。
メンバーの都合が一番合う日に設定したもののドタキャン多発につき、結局4人。
本当はもっと高い山が良かったのだけれど、関東の北西は雪が降ってしまって断念、
結果、房総へ行くことになる。登山時間より移動時間の方が長いんじゃないか、と苦笑しつつ。
ハイキングコースと書かれた登山道入口の前には急な階段が
その果てを見せないまま続いている。げげげ。
この階段、誰の歩幅をイメージして設定したのか、ちょまちょましていてすごく登りにくい。
みんなで「このピッチすごくイヤだー!!」と息切れする呼吸の合間に叫ぶ。
正直、ここが一番キツかった…。
▷階段を制したところにある公園にて。この「ウン」には何があったんだろう。
▷Sさんの知人の方を中心に制作されたツリーハウス。
ツリーハウスって想像以上にずっとしっかりしていて驚いた。
本当はまだ登ってはいけないのだが、お言葉に甘えて登らせていただく。
いやはや、すごい安定感。こぢんまりした感じも安心する。寒くなかったら快適だろうなあ。
▷登山道から山頂方面をのぞむ。鋸山は古くから房州石の石切り場としての役割を持ち、
横浜開港時には神奈川県庁・横浜市・横須賀市などの御用材になったとか。
いまでも高島桟橋や港の見える丘公園、靖国陣社・早稲田大学の大隈講堂の石塀などに
残っているそうだ(昭和57年に石切り場としての役目を終えた)。やるなー。
ちなみに写真右上は有名な「地獄のぞき」です。
▷石切り場に残る当時の名残。「トヨタショベルローダ/豊田自動織機製作所」と
書かれていた。時代を感じる。
▷O氏が「あ、『いいね!』だ」と言う先に数十年前のサムズアップ。おお、ほんとだ。
▷石切りの痕跡。手で触るとほろほろとしていて、思いのほか柔らかかった。
ちなみにここ、どのくらい大きいかと言うと…
▷こんな感じ。手すりの所に友人たちの姿があるのでどのくらい高くて大きいかわかるだろうか。
▷千葉は関東平野が広がっていて、平べったい。幼い頃にそれを意識したことはないけれど、
大きくなって、山を見るたびに「わー!山だ―!!」とはしゃぐ自分に
山のない場所で育ったことを痛感した(北部育ちなので余計だ)。
調べてみたら最高峰は標高408mで、海抜500m以上の山がない全国唯一の都道府県なのだそうだ。
そりゃあ、山見てはしゃぐよなぁ。うん。
この景色は千葉の貴重な山々の姿。
キリッとしているというよりもエッジがとろけ気味なところがいとしい。
▷山頂にある日本寺の百尺観音。このお寺、724年に聖武天皇の勅命と光明皇后の令旨をうけて
行基が開創した関東最古の勅願所。す、すごいな。由緒正しいのであった。
千葉もなかなかすごいのであります。えっへん。
▷地獄のぞき。鋸山の名スポットですが、実はその場に立つとあんまりコワくない。
横から見ている方がぞくぞくするかもな。でも景色はとても良いです。
▷トンビがたくさん飛んでいて、とても近くでみることが出来る。
(食べ物には要注意。よく見てるんだよなあ!)
この2羽はなにか争い中。飛ぶトンビの背が見えるってすごい。
山頂にて冷風にさらされながら、昼食をお腹に押し込む。
Sさんがリュックの中で冷え冷えになったおにぎりを食べて胃の腑から身体が冷えると
言っていた。そんなこともあるのか、と新鮮。
でも確かにご飯を食べても身体があったまらない…。みんなが麓で買ったホットのお茶は
すっかり冷えきっていて役に立ってはくれなかったのでそうそうに退散する。
▷像たちがとろけていると聞いてきた日本寺。そういう像もいくらかあったけれど
それよりも岸壁が全体的に不思議にとろけているのが面白い。石の性質なのだろうか。
たくさんの羅漢像や奈良の大仏より大きいという大仏さまを拝見しながら下り、
ロープウェーで麓へ下山。
そこから、少し歩いてSさんの知人が参加している『KANAYA BASE』へ。
私はなんの前知識もなく訪ねたのだけれど、元ホテル&植物園だった空間は
広々としていて、昔の気配を残した不思議さがあった。
家の近くにこんなシェアアトリエがあったら、どんなにかいいだろうと
とてもうらやましくなった。そうしたら積年の悩みは解決するのになあ。
(東京のシェアオフィスなどはやっぱり空間的にゆとりがないことが多い。
金銭的な負担もやっぱり随分違うのだ。)
これからもぞくぞくとリノベーションが進むそうだ。
BASEと海の間に作られたオープンスペースデッキから
夕陽が沈んでいくのを眺めて、いい景色だねえ、とのんびり。
初めてハンモックを体験したけれど、あれはいいものです。
▷電線にたくさん止まっているのが小鳥たちではなく、トンビってところがすごい。
電車を乗り継いで、東京へ戻る。
年内最後の山だったので忘年会も兼ねた打ち上げをして、締めくくり。
今年も1年間、みんな元気で山に行って帰って来れてなによりでありました。
◎本日のお言葉
「おしゃれは我慢(とは言うけれど)、我慢はおしゃれ(は成り立たない)」
待ちに待った日。
Segments Project 2013の最終回であるGENESis公演へ。
これまでの公演も存分に楽しくて大好きで、いつだって心待ちにしていた。
毎回、その場にいないと絶対に伝わらないパフォーマンスを全身で感じながら
時には笑いが(ニマニマもケラケラも)とまらなかった。
彼らの第2シーズンが終わってから、Segments Project 2013を受講し、
どんなことを考え、どんな経緯を経てK下さんの時間論があるのか、
そしてそれはどんなものなのか、というのを講義&体験で教わってきた。
(毎回、思うことがたくさんあるんです。言葉に出せていないけれど。)
その講座の最終回が今日。
実は、特に気をつけて講座と公演の関係性を意識して会場にいったわけじゃない(おい…!)。
多分、公演そのものが楽しみという方が大きかったと思う。
けれど、幕があき(実際の幕が上がったのはもうちょっとあとだけど)
パフォーマンスを見ながら「あ、今、私は「以後」だ!」と思った。思ったというか、
心でパチンとはじけたしゃぼん玉の中にその気付きが入っていた、という方が近い。
「あ、」って。
これまでの公演を見ていた私、ではなくて
今、これを見ている私は「セグメンツ的時間論」を経てきた私だ、と。
変わらず存分に楽しんで、イヒヒヒだのケタケタだのと笑って、
やっぱり大好きなことを感じながら、
けれど単にアウトプットされる行為を面白がっているだけじゃない自分。
ちゃんと “セグメントの感覚” が身体に尺度として馴染んでいることを実感できた。
そのことに、思わずニマーとした(トトロが雨音を喜んだような顔で)。
わかるだろうか。
ずっとその周波数を受信する手段を持ち合わせていなかったのに、
気付いたらチャンネルが「それ」にセットされている感覚。
チャンネルを獲得したことにすら、その時初めて気付く体験。
(この説明がわかんねーよ!というツッコミをいただきそうな文章だな。)
何かを学び、習い、新しい尺度や理解が自分の中に定着する時、
それを「まさにその瞬間」として体感することは意外と少ないのだけれど
今回は「瞬間」に出くわしたんだ、と思う。
つまり、私にとって今回は『それ以前と「以後」』を知った記念すべき公演だ。
◎
帰りがけ、以前のSegments Projectから参加しているO氏は前々から
“セグメントの感覚” を持ってGENESisを観ていることを知って、
私もそういうみんなにすこーし近づけたのかなあ、としみじみする。
個人的にはエノキの、狂気を感じる震えぶりとその後しばらく漂うかほりが今日一番のツボ。
11月末から12月頭にかけてお世話になった越後門出(かどいで)和紙の展示
「自然に寄り添う私の暮らし展」が茅ヶ崎のギャラリー俊で開催されていたので、ap嬢とお邪魔する。
親方の小林康生さんと奥さまに再会し、
また改めて和紙の話、門出の話を伺うことが出来てとても嬉しかった。
世界について知らないことならどんなことでも聞きたくて、
でも(あまりに門外漢過ぎて)何から聞いたらいいのかすらわからない私にとって、
にこにこと軽やかに、けれど大切に、目の前にある和紙の来し方を語り、
それにまつわるエピソードや、更には大切な地元のことを話してくださる親方と
お会いするのは、深く深くありがたい時間だ。
どんな質問だってしていいんだ、とこちらも心軽やかになってあれこれとうかがってしまう。
今日も、また新たな和紙の製法を知ることが出来たし、
まだ見ぬ和紙の制作過程を映像で見せていただくことも出来た。
大満足!! んふー(鼻息)。
お世話になっている印刷所のTさんからお電話。
大抵、私が迷惑をかけている事柄についての確認電話をいただくのだが、
それでもなんだか「にょほほー」と出てしまう。
今回も当然のごとく、いくつかの確認電話。
でも声を聞くと安心しておまかせできることを改めて実感してしまって
やっぱり「にゃははー」となるのであった。
いつも、本当にありがとうございます。
不肖の弟子は進歩が遅いけれど、
いつかそれが笑い話になるくらい大きくなれるようにがんばります。
友人のいなばちえみさんの個展『おす紙展―その2―』が開催されます。
会 期:2013年12月18日(水)ー23日(月)
時 間:12:00-19:00 ※最終日は18:00まで
会 場:mono gallery
180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町2-15-1-2F
TEL 0422-22-8812
www.monogallery.com
彼女の作品は「ここかー!」という視点の妙がとても素敵です。
ゆったりした気持ちになるのでオススメ!
昼から観劇。しかも2本も。
なんだそりゃ、って思われるかもしれないけれど
そういうこともあるんです。ぬふふ。
ただハッピーなだけの物語ではなかったので、あれこれと考えました。
たくさんの「他者」という存在と「私」というただひとつの存在。
色々と面倒なこともあるけれど、やっぱり関わってたいんだよなー、とか。
誰かの幸せを他の誰かが決めるなんて傲慢だ、とか。
(思考はあっちこっちしますが、それらが全て同時に存在することには矛盾がないのですよ。)
◎
空き時間に大型書店に寄って、最近あまり置かれていない本の入手に成功。
よかった、まだ絶版じゃなくて。
夜は寒くなりました。帰宅する頃にはシャビシャビのものが降ってきていたものな。
観たい観たいと思いつつ、行かずにいた『ターナー展』も閉幕間際となりあわてて上野へ。
これまでだったら、混んでそうだしな、と行かなかっただろう展示だけど、
ロンドンへ行って「ああ、ここはターナーのいた国だ」と思えたこともあって
作品を一覧しておきたかったのだ。
理想を言えばロンドンで観られれば良かったけれど(その方が空間も空気もぴったりだしね)、
この展覧会の開催時期的にそうもいかず……。
普段から、多くの人に美術館って面白いと思ってもらえたらいいと思っているけれど、
観に行く側としては、混んでいる美術館は大キライだ。
周囲のノイズに神経を削られて作品と純粋に対峙できないから。
でも、この展示はどうしたって混んでいそうだった。
15時以降は割合空いています、という情報をもとにその頃合いに行ってみたものの、
みんな、平日のこんな時間に何してるんですか!と(自分を棚に上げて)言いたくなる盛況っぷり。
すぐさま、心的バロメーターの運動レベルを0に近いところまで下げる。
そうでもしないと、細かいことにまでイライラしてしまってますますターナーどころではない。
さておき。
若い頃から成功をおさめていたターナーの大規模な回顧展ということもあって
初期水彩画から晩年の“光”まで、多様な挑戦を観ることが出来た。
水彩画は初めて観たように思うけれど、こちらも見事。特に本の挿絵のために
描かれた小品は、その小ささにあわせた繊細な筆致でとても美しかった。
こんな風に描けたらどんなにいいだろう、とその先にある実際の風景を思い描く。
二次元になった風景からどれだけ三次元として取り出せるか、
それは画家の技量もあるけれど、鑑賞者側がどれだけ風景をみてきたかという経験も大きい。
額縁の外に地平線を広げ、平面化された奥行きをぽこぽこと立ち上げる能力は自らの経験が育てる。
想像ではなく実感として絵画から風景を感じるためには
それが大きな役割を持っているなあと絵と対峙しながらそう思った。
まあ、これは現代社会での考え方かもしれないし、
そもそもターナーの絵を見ながら思うことなのかしらんとも思うのだけれど。
◎
人混みにイライラせぬよう、絵を鑑賞したあと、
閉館ギリギリに、あまりにも混雑していて飛ばしてきた辺りに戻る。
すると…天国のような風景。
誰ひとりいない空間でターナーと対峙することが出来た。至福。
やっぱりこうでなくっちゃなあ!と自分勝手なことを思いながらようやく満足。
日本の展示では珍しく、徹底した西洋的な壁面もあいまって
ターナーとの1対1はゼイタクでありました。
天井が低いのは惜しいけれど、今回の展覧会会場はすごくがんばっていて良かった。
(その分、入場料高いけど!!ぷんすか)
そういえば、チューブが発明される前、絵の具は豚の膀胱に入れられていたのですね。
知恵だなー。
◎
その後、O氏とS嬢と夕食。
最終的に超オモシロ中華料理屋に入ってバカうけであった。
あそこは万全の体勢でもう一度いかなくては。
O氏「あ、すいません、焼きまんじゅう下さ……」
店長(食い気味で)「ああ、ああ!!」(と手を振る)
O氏「え?あ、ない??」
店長「テンシンノコックモウカエッタ」(超早口でそういうと超速でUターン)
O氏「え?なんて?笑」
T 「コックが変わった?」
S嬢「いや、点心のコックがもう帰った、じゃないですか」
爆笑。
いやー、おもろい。
Kさんに連れられて釣りに行く。久々だー。しかも初めてのニジマス。
3:40に近所のコンビニで待ち合わせ、Kさん&Sさんと合流する。
あまりに早い集合時間だったので、寝ずに来たけれど意外と元気。
その後、UさんとLさんも合流して一路、栃木へ。
真っ暗だった外の景色は次第に夜が明けてきて、きれいだ。
どうでもいいが、途中止まったSAはなぜか牧場のようなにおいがした。なぜだ。
釣り堀に到着してバッジをつけたら早速、開始。
私はあまりに久しぶりすぎて、竿の使い方すらあやふやになっていて
師匠・Kさんが「すっかり忘れとるな!」と笑う。いやはや…。
しばらく投げて、巻いて、を繰り返してなんとか慣れてくるが魚はまったくかからず。
KさんとLさんは「今日はシブいな―――」と口がヘの字だ。
「シブい」っていうんだなぁ、と変なところを面白がりながらスプーンという疑似餌をつけた竿を振り続ける。
個人的には、この動作の繰り返しが結構好きだ。
もうちょっとこっちかなとか、あの辺に投げようとか、生き物っぽい動きはこんなか?とか
そういうことはうっすら考えているのだが、
根源の部分では何も考えておらず、淡々と動作を繰り返すことに集中していると
心が平静になってなんだか心地よい。
▷魚は時間を追うごとにどんどん活動的になってきて、あちこちで跳ねたり
針の近くや岸辺を行ったり来たり。でも全くかかってくれない…。
ちょっと疑似餌を一瞥してはフン、とそっぽを向いてしまう。かしこい!!
何度かアタリはあるものの、いつも捕らえ損ねて「わーん!」「ああっ!」とか言いながら
しばらくスプーンを投げていたのだが、まったくかからないので
フライフィッシングを試させてもらう。これは見るのも初めてだったけれど、
糸を繰り出す際のシュルルンシュン、という音と手応えがとても気持ちよくて好きだなーと思う。
長い糸を投げるのにしばらくかかったけれど、慣れてくると糸が空中で弧を描くのも素敵だった。
ルアーと違ってアタリがすごくわかりづらいので、目を凝らして針の辺りとマーカーを観察。
それでようやく、1匹釣ることが出来た。わー!
釣れなくてもひたすら竿を振るのは楽しいけれど、やっぱり釣れると張り合いがある。
結局1日の釣果はたったその1匹だったものの、それがあるかないかって大きいんだろう。
この日、メンバーはめでたく全員釣果があり、よかったよかった。
▷メンバーが並んで糸をたらす。Uさんは初めてだったのだけれど、
とても劇的な釣りを披露してみんなで大盛り上がり。
Kさんはアタリを感じられないフライはいまいち好きじゃなかったらしいのだが、
バス釣りやルアーで感じられる「コンコン」という魚からのノックは本当にとても
いとしい繋がりなので、わからなくはない。あれにはなにか「確かさ」がある。
でも私はあのシュルルンシュン、もすごく好きだと思った。
帰りがけにみんなで夕食。車を「寂しくならない駐車場」に止めて、
しゃぶしゃぶだー。もりもり…食べ過ぎた!!
釣りも、行き帰りの車内もわいわいと楽しく、良い時間でありました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎本日のお言葉
「今、名古屋にいて行けないんですよー」by Lさん
私はこの言葉を忘れないだろう、と思うくらい衝撃的なひと言。