ひとつ入稿作業が完了し、ホッ。
といっても、色校正をするまでは安心できないけれど。
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◎本日の読了
『おじさん図鑑』
▷TVで見て面白そうだったので手に取ったところ、作者の人は同じ頃同じ大学にいた人だとわかった。
本当にいろんな人がいたことを当時は気付ききれなかったんだなぁ、なんて思ったり。
友人のO嶋嬢にお薦めしたい一冊。
この時点(【その1】)でもまだ9時15分。
このまま直帰するのはもったいないので、国立博物館を覗いてみることにした。
現在開催されている『北京故宮博物院200選』。
「清明上河図」が展示されていた時は入るのにさえ3時間近く並んでいたと聞いて
行く気にもならなかったが、現物展示も昨日まで。
今日なら割合空いているんじゃないかと思ったのである。
入場券を買うのに少し並んだが、それ以外はわりとスムーズに見られてストレスがなかったので大正解。
内容はといえば、上記の話題作がなくても十分満足。
(ちなみに現物はないが複製展示はしている。拡大VTRの方が見やすくて面白かったけど。)
雰囲気を丁寧に作った会場には、
眼でなめ回したくなるような圧巻の絵巻や人間業とは思えない刺繍やつづれ織りの工芸品の数々!
ガラスケースぎりぎりまで近づいても絵画にしか見えないほど精緻な織物って一体なんなんだ!と
鼻息荒く眺める。思わず隣の女性に「織物とは思えませんねぇ」とため息まじりに話しかけたいくらいだった。
(刺繍した場所以外の部分にクジャクの羽根を敷き詰めている服とかもある。なんじゃそりゃ!
でもこれは綺麗なものに当時の人がとても敏感で正直だったということで、その素直さをステキだと思った)
権力があることで生み出されてきた芸術品をみると、権力というものの必要性をふと感じたりする。
権力がなければ残らなかったもの、生み出されなかった技術。それは確かにあるのだ。
それからこの展示では、書の国らしくたくさんの名書が展示されていたが、
よほどわかりやすいもの以外は「書の文脈」を持った人でなければ
良し悪しが全くわからず、奥が深いのだなあと思った。
私のようなど素人からみたら、書きなぐったようにしか思えないものが超一級品だったりする。
かわりにそれらを眺めながらそれにたくさん捺された印ばかり見ていた。
これらは間違いなくピカイチだ。うっとり。
なぜこれほどまでに、「版」を通したものが好きなんだろう。
これはちょっと追求してみるべきことだ。
それにしても、かつてこれほどまでだった技術は一体どこへ行ってしまったのだろうと
乾いたむなしさを隣国に感じつつ鑑賞していたのだが、
帰りに寄った常設展で日本でかつて行なわれ、現在では失われた極上の技術をみて、
なんのことはない、自分のところだってそうじゃないかと思った。
一度生まれた技術がなかった頃には戻れないと、特に科学などでは語られるが
人間の持ち得た手技は平気でなかった頃に戻れてしまうのだ。
それはそこにある「もの」に起因しているのではなく、無形の「行為」だからだろう。
人間は存在するものに対して無頓着だったりするから、なくなってもしばらくは
そのことに気付かなかったりすることも多いしなあ。
今、私達の身の回りにある「行為」たちはどのくらい先まで繋がっていくのだろう。
■
なんだかんだで長居してしまったがそれでも14時で得した気分。天気もよくていい気分。
いい気分ついでに駅ビルで立ち食い寿司(!)を初体験してあんみつを食べて贅沢な気分。
早起きは三文の徳というが、それを体現したような1日だった。
それにしても、珍しくよく「待った」日でもあった。
これまでに二度ほど逃している上野・五條天神の鷽に出会うために朝早くに出かける。
授与まで45分はあろうかという頃に到着したのだが、すでに列が出来ている。
お参りしてからその列に並び、待ちの姿勢。
それにしても雪の残る日陰に1時間近くたちっぱなしというのはなかなか大変であった。
足先、完全に凍結。
9時過ぎに本殿の方から巫女さんが鷽を載せた三宝をいただきながらやってくる。
その頃には一気に増えた人で長蛇の列(しかもなぜか2列に分裂…)ができていたが
載っている鷽の数を見ると、ここ2年、昼前に来てもダメだったのかがよくわかった。
すごーーく少ないのだ。(もしかしたら後ほど追加されるのかもしれないけれどそれは不明。)
三宝2つ分を運んできていたが、現状で並んでいる人にさえ行き渡らなそうである。
ドキドキしながら待ったが、私はかなり早い部類だったので無事に授与していただくことが出来た。
やった…う、うれしい…。
ちなみに亀戸天神などでは渡されたものを受け取るが、
五條天神は三宝に載ったものから自分で選びとる。
そしてここの鷽、頭には銀紙が貼られているのだがこれが金紙だとさらに吉兆だとのこと。
(選ぶ時点では袋に入っているため、銀か金かはわからない)
私は銀だったけれど、出会えただけで大満足。
寒さで歯をならしながら、鼻息荒く上野公園を歩く。
テレビで雪が雪が、と言っている。
人ごとのように聞いていたが、ふとカーテンを開けてみたら家の周りもすっかり雪化粧であった。
夕方に外出した時はなんだかここ数日より暖かかったようなのに不思議だ。
雪が割合めずらしい東京で、積雪に心躍らない人っているだろうか。
大人でもやっぱりなんとなく「ウフー」となっているんじゃないかと思う。
(その気持ちを外に出すかどうかは別として…。そんなことないのかな)
そうだとなんかいいな、と思う。
事故なんかは困るけれど…。
私は大いに「ウフー」となる。
友人・角裕美嬢が参加している『指先から色色 ちいさな家のmarket』にでかける。
なんだか素敵なものがたくさんありそうだったので、OPEN直後にいそいそと。
店内はひっきりなしに大盛況で、ぎゅうぎゅうだった。
小さな子もたくさんいて、会場で購入したパンを食べている様子はそれだけでとても幸せな光景。
ひととおり会場を見て回り、
渡邉知樹さんの鳥の置物
▷置物を購入したら袋に似顔絵を描いてくれた。
こういうのってすごく嬉しいことなんだ、とはじめて知った。
角さんの「のんきなおじさんコースター」
▷「だるまの開運コースター」と延々と悩んだが、結局こちらに。
最近作業しながらよく水分をとるのでぜひ使おう。
でも、紅茶とかでしみが出来たら大変だ!ドキドキ。
violetbiscuitさんの手作りジャム4種
▷きらきらしていてとても色がキレイ! しかも、素材の意外な組み合わせが気になる。
あまりジャムを使わない私でもいいなと思えるサイズなのも嬉しかった。
夕方に食べてみたら美味しくて「ウフー」となった。
クラッカーにクリームチーズを塗って、そこにジャムを加えると至福!!
を購入した。制作意欲をさわさわーと刺激してくれたので
頭の中にあることを煮詰めてみようと思いながら会場をあとに。
■
そのあとムサビの卒制へ。
着いてから偶然会った友人と一緒に回り始めたのだが、
気がついたら一人で好き勝手に動いていて、結局帰りがけに「じゃ!」と言っただけだった。
その友人と一緒にいたその子の同級生がのちほど「君たち、自由だね…」と言っていたらしい。
全く気にしていなかったけど、よく考えたらそうかもしれない。
卒業制作の中には何匹目のドジョウなんだかなあ…と萎えるものもあったりするが
面白いものもちらほら。
ひととおり回って最近の自分の好みがかなりパーソナルな作品に偏っていることの気付く。
3歳の時亡くなった父を追う作品であるとか、日々を丁寧に記述したものであるとか。
自分がきっと気になっている部分なのだ。
仕事において、参加者誰もが感じている非効率的作業が解決されないまま、
何回も何回も繰り返すのは一体何故なんだろう、と思う。
(批判というよりは「はてな」だ)
みんなが疲弊してしまっていたり、改善に生じるエネルギーを出し惜しんでいたり…
そんなことだろうか。
今日は好きなものをちょっと贅沢して食べよう、の日になった。
食料品の充実した場所をうろつきながら最初はおそるおそる買い物し始めたのだが、
だんだん大胆になってきて普段なら絶対に買わないような「ちょっといいもの」なんかを買ったりした。
食料品売り場をうろちょろしていると気の利いたデザインとか凝ったデザインとか
何となく古めかしくてステキなものなんかに出会えるので好きだ。
何度も行ったり来たりして、使わない調味料を眺めてみたり、
高いけどいつか欲しい缶詰を手にしてみたり。
幸せで、且ついつか役に立つかもしれない有意義な時間だ。