2014.1月

14.01.29 【その1】友人と

小学校時代からの友人の依頼でブランドロゴなどを作ることになって
その打ち合わせで久しぶりにSちゃんに会う。
せっかくだからとおいしいものを食べながら、
彼女が作ろうとしている作品やブランドの話をする。

小学校の途中で引っ越した彼女とはもちろん中学校も高校も大学も違ったんだけど
今、どんな風に生きようとしているかとか自然に向けるまなざしとか
なんとなく似ているところがあって、不思議なものだ。
「大人になったよねえ」などと言いながらも、
小学校の頃と大きくは変わっていない関係性はなんだか嬉しい。
そして、一緒に何かを作れるような関係も当時と変わっていなくてすごく嬉しい。

何より彼女に喜んでもらえるようなものを作ろう、と思う。

14.01.28【その1】観てきた

招待券をいただいて府中市美術館に『O JUNー描く児』展を観に行く。
恥ずかしながらこの作家については全く知らなかったのだけれど…
すごーく、すごく良かった!
解説によると作品背景はむしろ重量感があるようなのだが、作品そのものはむしろポップ。
最初の展示会場などはとてもデザインやイラストレーションとの
親和性が高いように見えて、思わず惹き込まれた。
これは、みんなにオススメしなくては!と友人たちの顔が浮かぶ。

とても均一に塗られた色面なのにエッジが独特の質感な絵。
画材は何だろう…面はガッシュとかのようなのにエッジはクレヨンのようだなあと
唸っていたら、図録によるとクレヨンで描かれたことがわかって衝撃を受けたり。
(クレヨンってあんなに均質な面を作れるのですね…知らなかったなあ)
リトグラフの質感と画もよく似合っているし、切れ端のラフスケッチさえも魅力的だ。
なんだ、なんだ、この人!とこっそり鼻息を荒くする。
そして展示を見ると、展覧会のチラシがなぜあんな形になっているのか納得。なるほどなー!

府中市美術館に訪れるのも初めてだったのだが
全体的に明るい印象で、地域の子供たちが出入りをしているのが好ましかった。
サイズ感も好きだったなあ。
東京には都心部にたくさんの美術館があるし、それぞれ素晴らしいけれど
近年、私は地方の美術館やベッドタウンなどにある美術館に魅力を感じている。
雰囲気や空気感、ジレンマの中でも挑戦しようとする姿勢などが等身大で
こちらも気張らずに等身大でそれを存分に感受したらいいんだな、と
思わせてくれるからかもしれない。

なにはともあれ、おすすめです。

『O JUNー描く児』
会 期:2013.12.21(土)〜2014.3.2(日)
時 間:10:00〜17:00(入場は16:30分まで)
休館日:月曜日、2/12(水)

府中って「心理的に遠い」って言われがちらしいのですが、実は「意外と近い」んですよ。
美術館は大きな公園の中にあって、お散歩にもおすすめ。

14.01.27

4月に開催される展覧会の打ち合わせ。
2人のアーティストの作品が展示されるのだが、
その資料を拝見したところ、とても素敵で今からテンションが上がる。
コーディネーターの方とも新しく関係を作っていくので
これまでを継承しつつも、また新たな作り方をしていくことになるのだろう。
楽しみ、楽しみ。

この打ち合わせで知ったのだが、近所にとても良い具合の喫茶店が出来ていた。
PCの電源まで提供してくれるらしいし、朝早くから夜遅くまで開いているので
作業にも打ち合わせにも良さそうだ。

14.01.26

いつもの仲間内でにわかにドイツゲームが流行中で、
今日は新たに入手したものを試してみようと集まる。
ただ、最初人数がいなかったので手当たり次第に
近所の友人たちに連絡したら最終的には想像以上の人数が集まった。
ものすごーく久しぶりのDちゃんも合流して賑やかに盛り上がったのであった。

極々至近の友人たちはおそらくゲームの持つ理論的な部分の面白さに
興味があるのだろう(私も含めて)。
プレイするのはとても簡単だけど、ゲームを矛盾なく構築するのはきっと
とても難しい。基本的なルールを考え、例外も全て取り込み、
「運」も構成要素に入れて…。考えれば考えるほど果てしない世界だ。
以前、O氏が何らかのソフトを使って作品を作るよりも
そのソフトを作る方がずっと面白いというようなことを言っていたけれど、
( ↑ かなりざっくりした要約なので趣旨が違ったら申し訳なし…)
ドイツゲームに触れているとそのことをすごく実感する。
やるのも楽しいけれど、新しいゲームを作り出せるならその方が
ずっとずっとエキサイティングだ。

いやはや、奥が深いなあゲームは。


▷そしてみんなが集まればお鍋お鍋。

14.01.25

人はその先に希望があれば、妙にオプティミスティックに
多くの時間を待機のために費やすことが出来る。
(叶えられるかどうかについては最終的にプレッシャーなのだけど。)

そして人はその先に確約があれば、驚くほど穏やかに
多くの時間を待機のために費やすことが出来る。

というのが、本日の実感。
とあるマンガでお地蔵さんが似たようなことを
言っていたのを思い出して、しかりしかり、と納得。

7が3→1→3に連続性をともなったまま分割された今日の私の話。

14.01.24【その2】

小さいマシュマロってかわいい。

13.01.24 【その1】観てきた

先日、本屋でチラシを見つけたので、国立のギャラリービブリオ
「『ピッキーとポッキーのはいくえほん おしょうがつのまき』原画展」へ行く。
小さい頃、すごーくすごく好きだった絵本が三十余年ぶりの新作!
その原画ともなれば観に行かずにいられましょうや(反語)。

駅前の木造家屋を改装してつくられたギャラリーはまさしくアットホームで
いわゆるホワイトキューブのような洗練された感じはないけれど
落ち着いてのんびり見られる場所だった。絵本の原画展にはうってつけかも。

しかし小さい頃は誰が描いているかなど気にせず読んでいたものだけれど
嵐山光三郎氏&安西水丸氏って…豪華なタッグだなあ。
束見本や、ラフスケッチも見ることが出来て、
完成までにどんな変化があったのかを目の当たりにするのは、今だからこそとても興味深かった。
ギャラリーのオーナーの方に制作秘話などを伺ったりもして、
(な、なんとそんな秘密が!!と大コーフン。)
これでまた作品を見る眼が深くなった気がする。

帰宅後、新作と第一作を改めて眺める。あー、そうだったそうだった、こんなだった!と
小さい頃のえも言われぬ感情を丸ごと思い出す。ああいうのって言葉にできないのに
時間が経っても形を変えることなくそのまま全部思い出せるんだよなあ。不思議だなぁ。
数ある絵本の中で、この作品のどの部分をどう好きだったのか、
具合はわかるんだけど、言葉にはできない。
表現すべき言葉を存分には持ち得なかった小さい頃に戻ったような心持ちになるのだ。
その心持ちは個人的には懐かしくて得した気分。

そしてこういう時こそ、その感情を植え付けた《絵の力》の凄まじさを感じずにはいられないのだ。
感情とともに絵がこんなに根深く彫り込まれる体験って
成長するに従ってなかなかなくなるものじゃないだろうか。

「『ピッキーとポッキーのはいくえほん おしょうがつのまき』原画展」
会場:GALLERY BIBLIO(ギャラリービブリオ)
日時:2014年1月16日(木)〜28日(火)11:00-19:00(最終日17:00まで)
   水曜休廊/入場無料

14.01.22【お知らせ】ミュージアムシアターなど

昨日のシンポジウムで各種チラシをいただいたので、お知らせを。
文化財とデジタルの関係性を体験したい方は観に行ってみてはいかがでしょうか。
※各種詳細はHPなどでご確認ください。

シネマトラベルー映画館でみる世界遺産の旅ー
 2014年3月8日(土)
 TOHOシネマズ 六本木ヒルズ ほか/期間限定上映

興福寺 国宝阿修羅像
 2014年1月8日(水)〜4月13日(日)
 東京国立博物館 東洋館 TNM&TOPPANミュージアムシアター(地下1F)
 水曜〜日曜・祝日 12:00/14:00/16:00 ※当日予約制

よみがえる江戸城ー本丸御殿・松の廊下から天守閣へー
 2013年10月23日(水)〜2014年3月2日(日)
 東京国立博物館 東洋館 TNM&TOPPANミュージアムシアター(地下1F)
 水曜〜金曜 13:00/15:00/16:00 ※当日予約制
 土曜・日曜・祝日 11:00/13:00/15:00 ※当日予約制

☆そしてそして!!
 こちらのアプリもぜひぜひチェックしてください。iPadやiPhoneで見ることが出来ます。
 『MAU M&L 博物図譜

14.01.21 進化するミュージアム2014

デジタル文化財シンポジウム+展示「進化するミュージアム2014」で
様々な博物館や美術館、寺社、大学等での文化財に対するデジタル的なアプローチに関する
発表が12:30から17:00までの長時間に渡って行なわれました。
その中で武蔵野美術大学の博物図譜とデジタルアーカイブに関する展示・発表も
行なわれたので、関係者の一人として参加してきました。


▷クリックすると少しだけ大きくなります。

正直、そんなに長時間のシンポジウムに参加したことがなかったので
退屈だったらどうしようなどと罰当たりな(?)ことも考えていたのですが、
ふたを開けてみればそれぞれ興味深く、楽しく聴くことが出来ました。

デジタルが抱える保存の問題、1300年以上続いてきた伊勢神宮の文化と技術の伝承の力、
国宝修理とデジタル技術の関係の可能性、学びのためのアーカイブの必要性と楽しみ。
今起こっている出来事にアプローチすることで変わるかもしれない未来。
各組織がそれぞれの立場でデジタル技術と向かい合い、ままならぬ環境におかれながらも
地道に文化の発展と継続のために様々な試みをしていることが見えて、
各所で感心し、もどかしく思い、あれこれと共感したのでした。

個人的にはデジタル技術がどんなことにどのように役立つのか、という手法そのものよりも、
その根底にある、ヒリヒリするほどの「未来に文化を残したい、伝えたい」という
人間的欲求それ自体にとても興味があります。
日々、文化財に接している方々が言いました。「残そうと思ったものしか未来には残らないのだ」と。
それは彼らの《実感》だと思います。そういう言葉には重みがある。
もちろん現実で言えばその積極性がなかったものの、処分する積極性がなかったゆえに
残ってきたものもたくさんあるには違いないけれど、
それでもきっと「残そうと思ったものが残ってきた」ことにも違いはないのでしょう。

私たちが過去の文明に尽きせぬ興味を持ち、本当はどうだったのかを知りたいと思うように、
遠い未来の人間たちも今の世界を過去として尽きせぬ興味を持つのでしょう。
その時、できるだけたくさんのヒントが残っているとすれば、
それはきっと彼らに多くの示唆と、何より “ワンダー” をもたらすはず。
その未来を想像すると、私はとてもワクワクしてしまうのです。

…とかなんとか、また勝手なことを考えていたのでありました。


展示ではさまざまな方とお話しすることも出来て、それも楽しかった!

14.01.20 大型宇宙船がトロンボーン形でも驚かない

CDのジャケットをデザインさせていただくことになり、音源の録音にお邪魔する。

演奏はトロンボーン奏者の古池寿浩さん
少し前に知り合った方なのですが、ソロ演奏を聴くのはこれが初めて。
ちなみに資料としていただいた楽曲を聴いた時の第一印象は「…私、お腹鳴ったか?(←真剣)」だった。
つまりメロディアスな作品ではなく、音、の作品。
音楽に積極的に馴染みのない私は、それを面白がりながらも
録音で、うっかりウトウトしたりしやしないかしらん…と少々心配でもあった。

いつも仲間が集う場所に、プロデューサー&録音担当&デザイン担当&演奏者が集まり、
周囲の音を出来るだけなくした状態で録音がスタート。
私にとっては初めて見るマイクとマイクスタンド、近くでみるトロンボーンと不思議な道具、
もの珍しくて「おほほー」とニヤニヤしてしまう。

演奏は全て即興で、「じゃ、やりますか」ってな具合で始まる。
私は勝手がわからないのでひとまず、録音の邪魔にならないように身動きしないことにする。じーっ。

…そして、そこに響いた音を聴いて、私の心配はすっかり吹き飛んだのであった。
知らないもの(=トロンボーン)から、知っているありとあらゆる音がする。
いつかみた景色の、日々の生活の、自分の身体の、そして周囲の生きとし生けるすべての、つまりは

この世界の。音がした。

ひとつの楽器から、こんなにたくさんの音が出てくるなんて知りもしなかったから
すっかりワクワクしてしまって、ウトウトするヒマなんて全然なかった。
それに、その《世界の音》はとても視覚的で、窓のない地下スペースにいるのに
目の前は随分と広大な荒野だったり、破裂するしゃぼん玉だったり、
懐かしい気配のする農村だったり、夕暮れを行くオートバイだったりするのだ。
音がつくる弾力のある薄白い膜をグッと越えた先にそれらの景色があるようで、
まるでどこでもドア(どこでもガスの方が近いかも)みたいだった。

わー、なんだこりゃ!!おもしろいーー!!と無音で興奮。ふがふが。
すっかり鼻息が荒い心持ちだ。

こんなにあらゆる音がするんだったら、
SFに出てくる人類を載せた大型宇宙船(映画とかよりマンガの方がしっくり来る)が
トロンボーンの形をしていても納得しちゃうなあと勝手なことを思ったりする。

この世はメロディなんて奏でていないけれど、
私たちはその音に飽かず耳を傾けていられるんだった、ということに改めて気付いたりもして。

音の水分だとか、宇宙とトロンボーンだとか、振動する地球だとか
裏返る内臓だとか、その他にもたくさん断片的にあれこれ思ったけれど
あまりに断片的で散漫になるのでひとまず。

いいジャケット作るぞー!と改めてやる気がもりもりしてきたのでありました。

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◎本日のお言葉
『ブリブリし続けてもう10年』