午前中のうちに、期日前投票。土曜日は意外と混んでいる。
毎度のことながら、投票用紙と2B鉛筆との相性の良さにとろけそうになりながら投票終了。
(選挙自体にはまったくとろけないけど。) この書き心地、ずっと書いていたくなる。
昨日、ちょうどSさんが同じことを言っていて「そうだよね!!」と大きな声を出してしまった。
やっぱり、気付いている人は気付いているのだ。
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午後、かねてから計画されていたKさんとのご飯。
話に聞いていたお店に連れて行ってもらった。
サムゲタン(うどん入り)を初めて食べたけれど、これはとても美味しいな。

それと韓国で飲まれているお茶(百合の根っこのお茶だと書いてあった)を飲んだ。
香ばしい香りでこれまたとても美味しい。
仕事を引きずりながら参加している私はかっこ悪いけれど、
いろんな話をしながら楽しい時間を過ごす。
Kさんはほがらかで面白くて一緒にいると楽しい。
帰宅後、仕事再開。
◎本日の一枚
選挙の帰りにスーパーで見つけたパン。抽象化がなかなかよい。
ただ、おいしいかというと……。
先日終わったばかりの仕事の打ち上げ。
出かけた街は美味しそうなお店と美味しいお店の宝庫だなあ。
お世話になったS先生とK嬢と一緒に広島風お好み焼きを囲みながら
あれこれといろんな話をする。こういう時は意外な話が飛び出したりするので、おもしろい。
そして楽しそうにお酒を飲んでいる人たちを見ているのは、お酒を飲むのと同じくらい楽しい。
(酒飲みの人たちにはわからないかもしれないけど、そういうもんですよ。)
なんだかこのままもっとあれこれ話していたいなあと思った。


S本さんの “作業” には、とても平らかな安心感を感じる。
これはなんだろうなあ、と思う。
随分と見慣れてきたということもあるに違いないのだけど、それは大きな要因じゃない。
きっと “意味のないことを意味のないように” というその作業を、S本さんがまさに「そのように」行なうからだ。
人間は自分に、そして自分の行為に意味を持たなければいられないから
なにかを「意味のないように」行為することは言うほど簡単じゃないはずなのに、
S本さんは「そう」していて、見ている私にもはっきりと「そう」感じられるからだ。
ひとがしている行為を見ていることが、まるで座禅でもしているかのような平らかさを心にもたらすなんて
なんだかものすごい(座禅したことないけど(!)、でもそんなふうなのだ)。
空間にものをおく行為の感触をひしひしと感じながら、すっかり安心してしまうなんてことが
この世の中にあるなんて知らなかったなあ。
時おり、坂田和實さんのレイアウトのようだなあ、などと思ったりしている辺り、
まだまだ修行が足りませぬが。
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そして、S貝さんのメロディは力強いサックスの音なのに、なんだか
地平線までいっぱいに草の揺れる丘でほろほろと涙を流す女の子を見ているよう。
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Y子さんの作るご飯はどれもこれも美味しい。なぜだ。
サンドイッチはパンまで自家製。おいなりさんは中身が五目ちらしという贅沢。
友人が企画しているイベントのための打ち合わせのため、吉祥寺へ。
ただでさえ、休日は人が多いけれど(思いがけず)お祭りが行なわれていたので余計に人が多い。
それにしても、御神輿が出るようなお祭りがある地域だったのだな、ここは。
カフェの前で順番待ちをしていたら、ちょうどそこがお接待の場所だったらしく、
目の前で御神輿がとまり、担ぎ手の方々が小休止。みんなで思わず拍手。
イベントの打ち合わせをわいわいとして、大まかな進行、準備の項目などを洗い出す。
(TKがザ・サラリーマンだったのにはみんなで感心。さすがだ…)
どんな風になるかなあ。とても楽しみだなあ。
会いたい人たちにたくさん会えるだけでも私は万々歳だけれど、
そんなみんなが思いっきり楽しんでもらえるようにしたいなあ。

◎
その後、hrtとK嬢と夕飯。
こちらも吉祥寺だったので、別の御神輿に出くわした。
あのあと、雷雨になったけれど大丈夫だったろうか。
散々、あーだこーだと話をする。ふたりとも社会に揉まれて大きくなっていて
10年前から知っている私としては感慨深いものがある。
そして10年経っても、こうやって席を同じくして話が出来ることはこんなにも嬉しいのだ。
あることのお祝いのため、Mさんの声かけで焼きそば&お好み焼き会。
わりと普段も会っている人たちが場所をMさん宅にかえて集まった感じで、
ぶっちーの悩み相談だったり、K下さんの見事なお好み焼きさばきだったり、
フォトジェニックなO氏の撮影会だったりしながら、わいわいとソース味を楽しむ。
よく会うメンバーでも、場所が違えば話題もまた違うもので、
いろいろと興味深いことに私は耳を傾けたのでありました。
まだ残る名月の下、宴は心地よく。
大好きな人たちとただ一緒にいるだけで世界は幸せだ。

高校時代の友人が私の実家に遊びにきたい、というので帰省。
「母のつくったお菓子が食べたいんだってさ」と昨日O氏に話したら
「……なにそれ。」とものすごく怪訝な顔をされた。
そのことを遊びにきた友人たちに話すと「いや、その説明はどうよ!」と思いきりつっこまれる。
でも、「……まあ、端的に言えばそうなるよね」って言ってるから間違ってないのだ。
昼食を食べながら近況を話したり、他愛のない話をしたり、
高校時代のことを話したり(この期に及んで、お互いが知らないこと、なんてものがあるのだ)。
しかも我が親友Wが、大学生になりたての頃にみんなで作っていた雑誌のようなものを
「こんなのがあったよ」と持ってきたので阿鼻叫喚。
「見なくていい〜〜!!」とのけぞるI&Y嬢を横目に私は久しぶりに眼を通す。
いやあ、なんだかヒドいけどもはや面白いな……。
3歳になりたてのWのちびちゃんも一緒だったので、
後半はお医者さんごっこやら髪の毛屋さん(美容院)やらで、注射されたり髪の毛を切られたり。
独特のルールに大人たちはげらげら笑いながら参加したのであった。
彼女は前に会った時、野菜がとても嫌いだったのだが、うってかわって野菜好きになっていて
率先して浅漬けのピクルスを食べている。
「このチクワみたいなやつ」と評したセロリ(!)もパプリカもぺろり。
果ては和菓子の桜の葉をそれだけで食べて「美味しい」と言っているのにはみんなで驚く。
いやはや、ちびっ子って面白いなぁ。

今日は昼と夜が同じ長さ。
明日からはどんどん昼が長くなってくる。
昼←→夜…と考えていて、じゃあ朝はどこだ?となる。
朝←→夜だけど、朝←→昼ではないから
朝と昼は近しくて、夜はひとつぼっちだ。少しさみしいだろうか、と思う。
でも、それだけ人間にとって特別な認識の時間帯でもあるってことだな。
研究室勤務時代にお世話になっていたH先生と5年越しの約束を
果たすべく待ち合わせ。日程のセッティングをしてくれたY嬢も一緒に都心で夕食。
なんの話をしたかと言えば、いろんな話をしたのだ、と
いうしかないようないろんな話をした。
珍しい料理を食べながら、仕事のことや今考えていることや
問題だと思っていることや、面白かったことなんかを。
先生が持つ問題意識とそれへの対応はパワフルで、圧倒される。
世代が持つパワーって言うのは確実に存在するし、
それは別の世代からしてみたら、どうあれ妙にまぶしいものだよなあ。
2軒目に移動して、さらにラフな話なんかもして濃い時間を過ごす。
こういうの、久しぶりだったなあ。堪能。