2013.4月

13.04.28 色浴び

友人の角裕美さんの展示を観に代官山へ。

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角裕美 個展「夏の夜」@ Gallery 子の星
4/24-5/6 12:00-18:00
※4/30休廊・最終日は17:00まで


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久しぶりに観たカドの絵は「カドらしい」というのが一番良いような色にあふれていた。
一緒に行ったS嬢が「この色づかい出来ないなぁ。さすがだなぁ」と横でつぶやき、
私は、まったくだ、と思う。
そして「1枚で1冊の絵本を読んでいるみたいに楽しめる」と感想を言っていたけれど、
これまた私は、まさになぁ、と頷いた。

絵に散らばるたくさんのヘンテコなキャラクターはレギュラーもゲストも含めて
本当にたくさんいて「これは一体なんだ」とか「この子好きだな」とか
更には「この子はおいしそうだ」などと思う。
にぎやかで明るくて、まるですっかりカドなんだけれど、
ふとぽっかりした絵もあって、少しカドの「奥の方」を覗いたような気分もする。
まあそもそも、あんな個性的なキャラクターが手から生み出てくることが
カドの「奥の方」だよなぁ、と感じつつ。

彼女のイラストは明るい色味だと知っていたし、
特に自分の気持ちが沈んでいるとかいうことも全くなかったが
観終わって出てきてみたら、なんだか身体の中から晴れやかだった。
色浴びをした、と思った。

友人が制作に励んでいることは高揚する大きな要因だ。

会場撮影をこころよくOKしてもらえたので少し掲載します。
(©Hiromi Kado)

13.04.27

昨日はS嬢の頭の中にある大いなるくくりの存在があきらかになる。

◎具体例1
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「ハチ(HACHI)」=「リチャード・ギア」=「Shall we dance?」=「役所広司」
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「ハチ」=「役所広司」
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◎具体例2
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「お〜い!竜馬」=「武田鉄矢」+「マンガ」=「歌詞」=「長編ドラえもん」
 ↓
「お〜い!竜馬」=「長編ドラえもん」
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つくづく、これは才能だなぁと感心しつつO氏と爆笑。

13.04.26【その2】講演会

アップルストア銀座での荒俣先生のトークイベントに駆け込みセーフ。
映画館のような座席でゆったりお話を聴くことが出来るのですね、ここは。
(ただ、あのエレベーターは急いでいる人間にはキビシカッタ!)

大学での講演会とは少し違う客層の方々の反応を
後方の座席で見るという状況はなんだか新鮮で、興味深い。


世界の広さを知ろうとした人々の痕跡は、
たとえそこに国の威信がかかっていようと、どんなに過酷な道程であろうと、
それを凌駕したに違いない彼らの純粋強烈な好奇心と、
その先で出会った「ワンダー」に溢れていて、
目の当たりにするとワクワクを超えて心がギシギシとする。
それは、私が今まさに「帰国者」であるから余計にかもしれない。

彼らが命を削ってつくった博物画は
科学的正確さも人間的お約束も想像力も、あらゆるものを
抱えているのだから、面白くないはずないのだなぁ。

iPadやiPhoneをお持ちの方はぜひアプリのダウンロードを!
MAU M&L 博物図譜

13.04.26【その1】つづく

プロジェクトは続く。


歴史を後世から見た時、思うことも評価もさまざまだ。
ただ、歴史に対する絶賛あるいは批判を小耳に挟みながら、
でもなぁ、と思う。

今、私たちは自分のやっていることに対してあれこれ悩んで、
でも必ずなんらかの挑戦をして、「今、この時」の答えを出す。
それは誰かにとっての不正解であり、批判の的であるには違いないし、
(批評の的なら好ましいかもしれないが、存外世の中は大人げなくもある。)
何年も経ったあとの自分にとっての答えとは違う可能性も高い。
やっている自分が一番、途上であることを知っていて、
生み出すあるひとつの結果は、その先の礎「でしかない」ことも痛感している。

だとすれば、かつて生きた人々にとっても彼らの若き時代から晩年までが
それの連続だったのだ、となめらかに思うことが出来る。
そしてそう思った途端、目線は不思議なニュートラルさを帯びてくる。
(きっとそこにはとても素直な気持ちから生まれる尊重があるのだ。)

そのニュートラルさで眺めると、後からの絶賛や批判は少し、むなしい。
(もちろん批評はこれとは別だし、個人的な好き嫌いだって自由だと思う。)
その時代の挑戦を、同時代性を絶対にわかり得ない後生が
自分たちの時代のものでしかあり得ない価値観で絶賛していても批判していたって、
「でもなぁ」「それでもなぁ」という気分になってしまうのだ。

「劇的な出来事」は後の時代に「おこった」のであって、
当時それは上記のような連続性の断片に過ぎなかったのだよな、とか、
歴史を切り分けたのはやっぱり後から来た人間で、
歴史そのものは誰かの人生やなにかが終わろうとも、
どんなものごとも断ち切ることなく、続いているのだよな、とか。


私が興味があるのは「だから、素晴らしい」でも「だから、ダメだ」でもなく、
どんな時代に、誰と誰がどのように何をして、何に繋がったことで、世の中が「今」なのか
といった《営み》そのものなのだ、と最近強く思う。

13.04.25 ふりかかる

プロジェクトの追い込みは続く。
昨日の打ち合わせを受けての修正や微調整、確認などなど。
メンバーそれぞれが自分の役割にひたすら動く。
時折、細かな方針や修正を話し合い、どうするか悩み、
ひとまずやってみて、場合によっては戻す。
結果は一進一退だとしても、無駄な動きが減っていて、
互いの集中度が増しているのがわかる。

そうやって1日を過ごしていたところ、
終盤になってNくんとKさんにそれぞれ災厄がふりかかる。
当事者じゃなくても心臓がギュッとするような状況に
災厄はなぜ、よりにもよって、という時にくるのだろうと思うことしかできなかった。

なのにそんな中でも、
必要資料について相談すると2人とも見るも鮮やかにそれを手元に届けてくれる。
ああ、本当に優秀な人たちと仕事をしているんだなぁと心奪われるばかりだ。

13.04.24 打ち合わせ

プロジェクトの打ち合わせ。
もう、大きな打ち合わせはおそらくこれが最後というタイミング。

まだまだやらなくちゃいけないことも問題も山積みで、
それはとてもシビアなことだと思うのに、一方ではやっぱりすごく楽しくて
お気楽な性質まる出しとはわかっていつつも、
集まるみんなを見ながら、この環境が嬉しい気持ちも本当に本当だなと思う。

…なんて思っていると
「こういうところがデザインの腕のみせどころでしょ」とN先生にしっかり釘を刺される。

は、はぁい!

もっと良くする!

メンバーのひとり、O嬢の担当プロジェクトもすごく面白くて、出来上がるのが楽しみだ。
関連文献を先に読んでいるからこそ、積極的に面白がれている可能性もあるけど、
完成したものは絶対に意義のある提示になる。
たくさんの人に見てもらいたいなあ。

13.04.23 あっちゃこっちゃ

富山から大好きなお2人が来ると聞きつけて、会いにゆく。
会いにゆく、とか言ってないでさぁ…とそれこそお2人に思われること必至な状況だったので
大変に申し訳ないけれど、ついつい‥…。

仕事をあっちゃこっちゃしつつ、弱音も吐きつつ、
でも会えたら嬉しいしで、
ハイテンションのまましっちゃかめっちゃかな有り様だった気がする。

13.04.22 スペース

今かかわっているプロジェクトの追い上げ。
印刷紙面は決まっているのだけれど、現状だと到底入りきらない。
ものすごく頼りになる脳内マッピングを持ったNくんの解説を必死に聞きながら
時間をかけてスペースをスリム化し、内容を整理していく。
私の頭の中がもっと対象に通じていてかつクリアなら…と悔しいけれど、
とにかく今はなすべきことに集中する。

1日かけて、規定紙面に「到底」入りきらないデータが
「もしかしたら」入るかもしれない、にまで変化する。
ビフォーアフターを重ねながら、たった数センチのその変化に2人で
「やった……!」となる。
でもまだまだこれからが勝負、なのでがんばるのみ。

13.04.21 荒い息づかい

楽しみにしていたライブへなんとか行くことができた。
『第六の言葉』の時も行きたかったのだけれどあまりにテンパッていたため、断念。
でも、今日は2nd season・ファイナルなので意地でも行かねば!ね。

GENESis 2nd season ファイナル
『第七の言葉:父よ、私の霊をあなたの手にまかせます』

大崎は我が家から遠いけれど、l-eで席に着いた瞬間、
ああ、ここにいて良かった、と思う。
人や場が発する雰囲気ってあると思うのだが、
ここは門外漢が気楽でいることを許容してくれる。まさしく人も場も。
きっと音楽や光やエレクトロニクスに詳しければもっと違った楽しみ方が出来るのだろうけど、
そうじゃなくても大丈夫、と言ってくれているようで
アウェイ空間が苦手な私でも、とても居心地が良い。
思うところあってのパフォーマンスに違いないのに、
「ただ」楽しむことを歓迎してくれる(と勝手に思っている。でへ)。
メンバーの方や常連さんの人柄が本当に大きいなぁとしみじみ安心。

始まる前からトイレットペーパースクリーンの隙間に覗く
オカメや鈴木さんと目が合って、私はもうそれだけで笑いが止まらない。
 

GENESisのライブは、なんだか漠とした期待がちょうどうすぼんやりと心を占めた頃に
ゆるりと始まる。やっぱりなんかニヤニヤしちゃう。

スクリーンを取り除く古池さんはなんだか気持ち良さそうだし、
木下さんのハサミの切れ味は異様にいいし、
(だって、トイレットペーパーってあんなにサクッと切れるものだろうか…)
坂本さんの光は透明の箱の側面をなぜか緑と紫に映し出しているし、
(これはどうやって、そうなってたんだろう…)
鈴木さんは、ますます渋さを追求していた。

オカメもヒョットコもいつもより多かった。
会場にはトラも走る。
ある娘さんの大切なぬいぐるみはほのぼのと磔だ。
聞いただけだと本当に、なんじゃそりゃ、の世界だけど
それらがあり得ることに違和感のない、空間。

…と、急に4人が譜をもとに「その場」で走り出す。
ゆっくり、ちょっとはやく、全力で。
数十分それを近距離で眺めながら、
それこそ「なぜ、いい歳をした4人の男性の荒れた息づかいを
みんなで静かに聞いているんだろう」なんて思うのだけど、
あちこちがおかしすぎて、腹筋が痛い。

鈴木さんはもはや走っているというより、だだをこねているようにしか見えないし、
古池さんは終始顔も走りも淡々としているし(この対比は最高にツボだった)、
木下さんは時々、なんでこんなことしてるんだっけ、みたいな顔するし、
坂本さんは全速力が多くて本当に辛そうだった。

そのあともインターフォンが鳴ったり、
ろうそくが鈴木さんにロングブレスダイエットさせたり…
だめだ、思い出しても笑ってしまう。

こんな風に時系列に思ったままの断片を適切な接続詞もなく垂れ流したって、
なんかいろいろ伝わってないだろうなぁと思うけど、
とにかく、面白かったんです! もうそれ以外になにがある!というくらい。
あー、しあわせ。

ライブ後もね、なんか好きです。


GENESisのみなさま、
「これでさよならじゃないから」、3rd seasonに出会えるのを楽しみにしております。

13.04.20 授業開始

今年度も、大学で担当している授業の初日となりました。
初回はいつでも緊張します。
しかも今回は風邪のなごりでガラガラ声でした。とほほ。

授業にはあれこれ考えて臨んでいるのですが、きっともっと
わかりやすく印刷の仕組みを教えることは出来るはず。
デザインを学んだのだから、伝え方こそ工夫しなくては。
そしてもっともっともっと、印刷のこと勉強したいし、しなくてはと思います。
「人に教えるってことは、自分がきちんと理解していなくちゃいけないってことなんだよ」と
かつてN本先生がおっしゃっていたのを痛感しています。
「だから、人に教えるってことが自分にとって一番勉強になるんだよ」って。
本当に本当にそうなんだなぁ。