天神社で行なわれる「うそ替え神事」に行く。
上野五條天神の鷽を持っていないのでいそいそと出かけていったら
正午にはすでに授与終了(涙)。以前にも同じことがあったので
しょんぼりしながらも、せっかくなので御朱印をいただく。
その後近くの上野清水観音堂にも立寄り、大きな絵馬などを眺めるものの、
しかし、それよりもやけにファンシーな「手水のつかいかた」に釘付け。
しょんぼりのままでは…と少し足をのばして亀戸天神へ。
さすがに「うそ替え」が有名なところとあってたくさんの人でにぎわっておりました。
懐中用と3号の鷽をいただいて、お参り。
本来は一番小さいのから初めて毎年すこしずつ大きくしていくのが習いなのだけど…。
くるんでくれる紙にはこの神事について
「今迄のあしきもうそとなり吉(よき)に鳥かへんとの心にて…」と説明されており、
さらにおのおの番号がふられていて、どうやら抽選で金の鷽があたるらしい。ほほう。
ちなみに1月25日は初天神祭でもあり、境内の神楽殿では「竪川睦の奉納による
都無形文化財指定の里神楽・葛西囃子」が行なわれる日とのこと。
私がいた時はちょうど獅子舞が神楽殿から降りてきていて、頭をかんでもらおうと
人が群がっている最中。せっかくなのでその輪に混ざってカツンとかんでもらう。
初体験。今年もいい年になるかなー。
中学時代の同窓会が15年ぶりに行なわれたので、行ってきた。
これまできちんとした同窓会が行なわれることのなかったドライな(?)学年だった分、
みんなとの再会が激しく面白かった。中学卒業以来会っていない人が大多数なので、
当時「中坊男子」だった男性陣が丁寧な言葉を使い、気配りをし、話ができるようになっている。
なんていうと失礼かもしれないけど、なんだかそのことに「ひゃー」となってしまった。
そりゃあ30歳にもなれば仕事もしているし、家庭を持っている人もいるし、子供がいる人もいる。
それぞれに15年があったんだから大人になってるのは当然なんだろう。
いや、でもびっくりしたなあ。
雰囲気が全く変わってない人もいれば、誰だっけ!?って人もいてそんなことも新鮮。
当時仲の良かった男子・Tが「あいつは初級編で、あいつは上級編でしょ」と、
「わかりやすさ」にレベルをつけていたけれど、どうやら私は上級編だったらしい。
あの頃、髪型が異様に特徴的だったのでそのイメージが強すぎるからだ。
近距離で「??」→「!!」となる同級生の反応が面白すぎて、
友人に「この人誰だ」クイズの題材にされてしまった。そんなに違うのか……。
そのせいか、おそらくここ数年そして今後を含めても一番お褒めの言葉をもらった1日だった。
当時の思い出話から現状の話まで、いろいろと盛り上がり、結局帰宅は深夜3時。
でも、楽しかった!
母校の卒業制作展へ。
大学勤務時代に担当していた学生が大学院を卒業、あるいは編入先の学科を卒業する。
2年間の早さを自分が過ごしてきた時間より、彼らの変化によって痛感。あっという間だなあ。
1年間かけて自分の決めたことを追い続けるのはなんとも言われぬ重圧もあるけれど、
やはりとても幸福なことだ。彼らの発表に耳を傾けながら自分の姿勢について猛省。
学ぶことは続けていかないと蓄積はあっという間にカスカスになってしまう。
何度も復習のようにして反復しながらその上に新しい発見を上乗せしていかないといけないのだ。
日常を言い訳に置いてきてしまった大学院時代の研究対象をもう一度拾いにいこうと改めて考える。
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学科全体の卒制をブラウジングして思ったのは、
「他人から見ても新しい」ことをするのは難しいということ。
それぞれのテーマは本人にとってとても意味のあることで、そこには大切な価値がある。
ただ古参な人間からすると内容が、切り口が斬新だというものにはなかなか出会えなくなっている。
…ような気がする。
寒い毎日が続いているので、夜な夜な湯たんぽを作る。
その時、10年以上使っている笛付きのやかんを使っているけれど、今日「ピーッ」と呼ばれて
いつものように火を止めた瞬間はたと、このやかんを作った人ってすごいな、と思った。
ここに小さな穴をつけたら蒸気の勢いで音が鳴るじゃん!って思いついたってことだものなぁ。
その瞬間を想像して、気付きの瞬間を思ったのでありました。
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今日は親からぽんかんが届く。感謝。
造幣局が発行している地方自治法施行60周年記念貨幣の窓口交換日ということで、近所の銀行に
500円硬貨の交換に行きました。今回は愛知・青森・佐賀が交換可能でしたが、
グッとくるのが青森県のものだけだったので、それを2枚換えてもらいました。
表面には遮光器土偶と合掌土偶、三内丸山遺跡の風景。
2年前の冬に訪ねた青森のことを思い出しました。
とてもいいところだったので、また行きたいものです。
友人K氏+F嬢+T氏とともに「うらわ美術館」と「埼玉県立近代美術館」へ行きました。
うらわ美術館では柏原えつとむ氏の『THIS IS A BOOK.』の全ページをコピーながら観ることが
出来たのと、最近気になっていたカン・アイラン氏の作品を見ることが出来たのがまずは収穫でした。
でも展示で一番面白かったのは三島喜美代氏の陶土で作られた巨大な新聞の束や漫画雑誌。
どうやって作っているのだろうという技術に関しての?もありましたが、
私が惹かれた理由はそのサイズにあるのだと思います。最近気付いたのですが、
サイズにエラーを起こしているものを観るとすごく気になってしまうみたいで…。
小さな頃からリカちゃん人形よりもその小道具(小さい本や食品パッケージなど)に惹かれたのも、
15年近くコレクションしているペットボトルキャップに魅力を感じるのも、
そのサイズ感エラーのせい。それがどうしてなのか分析してみるのは、ごく個人的なことですが
面白いだろうと考えはじめています。それから、身近なものがテクスチャでエラーを起こしているのも
また惹かれてしまう。そのふたつのエラーが彼女の作品にはありました。
個人的にはそうしたエラーにまず興味を持ったのですが、キャプションにあった
『(前略)大量生産・大量消費されるのはものばかりでなく、情報もまた大量に(以下略)』
という制作意図にも素直にうなずくことができたのも印象に残った理由のひとつでした。
うらわの路地裏を歩いて埼玉県立近代美術館へ。鳥取の写真家・植田正治氏の写真展です。
「この写真家が好き!」ということがあまりない私ですが彼の写真はとても好きです。
見ていると静かであったかい気分になれる。初期の構成写真のセンスに脱帽したり、
モデルの奥様の可憐さにほっこりしたり、自然や町並みに思いを馳せたり。
とても穏やかさの密度が高い時間を過ごすことが出来ました。 『子狐登場』、やっぱり大好きです。