元・担当学生たちの同窓会におよばれして
浅草橋にある「天才算数塾」(DJぷりぷり氏が運営しているとか)へ。
不思議な空間だが、なんだか居心地がよかった。
土間横の棚にはこけしがたくさん並んでいて、こけし好きとしては気になる。
卒業して3年目のみんなの、いろいろ悩んだり決心したりしながら
一生懸命日々を生きている様子が伺えて、とても嬉しくなった。
みんなに会えるとたくさんエネルギーをもらえて、私もがんばるぞー!!と思える。
そういう意味でも、新年に繋がるとても素敵な忘年会であった。
大変ローカルな上、これに興奮する人は限られていると思うのだが、
国分寺駅周辺をうろうろしていたら、多摩湖線で「白い西武線」に出会った。
(基本的に、国分寺周辺を走る西武線車両は黄色い。)
ひとり衝撃を受けて、あわてて撮影してみたのだがブレブレ。
せっかく時間もあるしな、とホーム直前の踏切でもう一度待ってみる。閑人である。
予想が正しければ、あの車両は別の車両と一度すれ違ってから往復して来るはずなので
2回待てば来るはず!とじっと我慢。
次に来た黄色い車両を見送ってからしばらく待つと予想どおり!
わー、白い車両だ!
今度はぶれないようにとホームにとまっている様子を激写しまくり。
しかも、柵の外から必至に撮影しているのできっと怪しさ満開であったろうが
そのかいあって、ぶれない写真が撮れました。(携帯なのが残念…)
どうやら、これ新型車両らしい。
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◎本日の読了
『数寄です!』2 山下和美 講談社
『七夕の国』1 岩明均 小学館文庫
大学時代の初・同窓会。
卒業したのが2003年の春だからもうすぐ9年になる時期だ。
それぞれ繋がっている人脈がものをいい、約半数が集まった。
卒業以来の同級生、よく会う仲間、久しぶりの友人。
懐かしくて、新しくて、変わってないけど変わっていて。
なんだか空間全体が「うれしい」場所だった。
学生時代はほとんど話をしなかった人ともなんだか素直に話せるのが同窓会のいいところだと思う。
卒業してからこのくらい経つと、みんなの近況もいろいろで
広告代理店で大活躍していたり、プランナーとして企画運営に充実していたり、
陶芸を学んで作家として独立していたり、お母さんになって子育てしていたり。
本当にたくさんの道が私たちには許されているのだなあ、とキラキラした心持ちになってしまった。
また数年後に集まった時も、変わっているけど変わっていないみんなに会えるのだろうな。
こういう関係性は本当にシアワセだ。
新規の装丁のお仕事をいただく。
夕方、打ち合わせのために本郷まで。
学術研究をなさっている方とお話をしたり、
その方の研究について(ごくごく表面ではあるが)伺うのはいつも刺激的だ。
いろいろと打ち合わせた帰り道に思ったのは
「デザイン」という行為が自分たちが考えるようには世の中に捉えられていないということ。
それはきっとどの分野でも専門外の人が正しく理解するのは限りなく困難だから
別に構わないのだが、限られた時間の中でその人が考える「デザイン」の持つ幅をしなやかに広げられたら
なんだか互いにとって素敵だなあ、と思う。
そしてそれはこちらの能力にかかっているのだ。
どうやったらそういうことが少しでも出来るだろうか、と問いを自分に投げかける。
投げっぱなしにしないようにしないとな。
どんな風にして作るのかは全く知らないが、
どうにかすることが「それ」を作ることが出来そうだ、という状況が割合好きだ。
自分の環境と持てるもので、「こうしてみたらいいかも」だの「代わりにこれ使えばいいじゃん」だの。
こういう時、人間って大なり小なり自分で考えて工夫してみることが好きな動物だなあと思う。
ホモ・サピエンスの名の通りか?
というわけで、今日は上記のような状況を1日中過ごしていた。
そうすると思い出す。自分は何かを作るのが好きで、作っている時は疲れたりしないこと。
そうだったそうだった、とひとりで納得しながら作業し続ける。
これが日常的なことが本当だと思うのだが、なかなかそういう環境を作れていないことにも気付く。
でも、今なら(今からなら)それが出来そうな気がするなあ、
…などとあれこれ断片的に考える。
こういう時の思考は自分の本質や素直な思いであることが多いのだが、
長いことつかまえておくことが出来ない。
それが出来るようになったら、また違う世界を見ることが出来そうだと最近感じるようになった。
さて、そうやって作ったものは思っていたより上出来だった。
これは、新たな展開が見えるぞー。
担当している授業の最終週。
いつもの教室から、別の教室へと移動して
松井さんとあれこれ話す。学生はそれを楽な状態で聞いている。
最終課題をどうするか、ということへ向かいつつ、
ひとつひとつの事象を丁寧に見てみたり、自分の中の文脈を大事にしてみたり。
停滞したりもするのだが、そのことを気にせずにいられる場所ってこの社会では稀有だなあ。
この授業の空気、みんなで共有するもの、はなかなか説明しづらい。
けれど、その空間では確かに共有されているものがあって、不思議にエキサイティングだ。
話を続けた結果、授業の終りには面白い最終日を迎えられそうな予感が生まれた。楽しみ楽しみ。
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昼食は学校に来たS嬢と国分寺で。
ここ最近よく話している話題をしてみたり、今どんなことをしているのか聞いたり。
次の予定を気にせず、時間をかけて人と話す場所があるのはシアワセだ。