2014.1月

14.01.05 新年会

いつもお世話になっている方々と新年会。
こんなにちゃんと新年に新年会することってあんまりない気がして
年末からすでに楽しみだった。

Yさん宅におじゃますると、これぞパーティー!という
とても豪華で素敵なお料理の数々!!むひょー。
みんなの差し入れも加わって盛りだくさん。
14時から始めて、気付いたら終電、というくらいまでのんべんだらりと楽しみました。
笑いすぎたなー。楽しい人たちと楽しい時間、贅沢なことです。


▷この日食べたお料理は食べたことを自慢していいと思う!…ということで。
 チキンはいくつも種類があって、どれも美味しかった。
 あまりの美味しさにレシピのコピーが部屋を舞ったのであった。


▷カツオ!!んまーい。


▷Yさんが某居酒屋で食べた味を研究しつくしてたどりついたサラダ。
 生で食べるホウレンソウって好きだ。


▷ベジタリアン的グラタン。作り立てアツアツって幸せ。


▷ぶっちー差し入れのデザート系サンドイッチ。


▷差し入れの数々とモツ煮込みがたっぷり入っているクッカー。盛りだくさんだ。

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◎本日の一枚

▷うっかり粉々になったウマ、手術後。
「……なんか違わない??」とみんなからの総ツッコミ。
 でも傷口をあわせるとこういうことになるらしい。

◎本日のお言葉
「モダーン」「ユダーン」「ゴダーン」

14.01.04【その1】

久しぶりにパイ生地を作る。
実家だとキッチン周辺も広くてやっぱり快適。
パイ生地は手間らしい手間はないけれど
寝かせる時間が長いので1日仕事になる。
でも初めて作った時、なんでパイがあんなに何層にもなってるのかが
実感できて感動したなあ。
バターをたくさん使うので冬向きの食べ物であります。

そして作ったのはガレット・デ・ロワ。
フェーブは午年ということで騎士モチーフを入れました。

実家の包丁が研ぎたてで切れ味が良過ぎて模様が深くつきすぎてしまった。

14.01.03 サバイバルごっこ

今日も元気に「遊ぼう」攻撃。もうおばちゃん、体力がもたないわー。
見かねた他の大人たちが外に連れ出したりしてくれる。
その間に年賀状の宛名書きにいそしんだので、明日には出せるだろうか。
姪っ子が出来上がった年賀状を見て「この色で良かったね」とほめてくれる。おお、ありがとう。

本日のメインイベントは「サバイバルごっこ」。
サバイバルごっこってなんだ…?と思っていたら
どうやらTVの無人島生活番組に憧れてのことらしい。なるほど。
最初はテント(大きな布をカーテンレールからさげる)をはって、
暗号(=3チュリー21→3チュリー24に変更)で部屋の出入りをしたり、
糸電話でその暗号を聞いたりしていたのだが、
いざ無人島生活をするために、獲物とそれを捕らえる道具を制作することにして
その辺にあったチラシで魚だの果物だの、釣り竿だのを作る。
甥っ子は「捕ったどー!」用に欠かせない銛を作り、
姪っ子は上手にタコを描く。彼女は小さい頃から絵が上手だ。
私は開きも作れる魚と、姪っ子リクエストの「パカッ」と出来る果物などを制作。
義兄は立体感溢れる魚を制作。甥っ子が「お父さん、こういうのに燃えちゃうんだよ」と
言うのがおかしかった。そんなお父さん、多くないと思うわよ。


▷姪っ子が紙いっぱいに描いたタコ。目に穴があいているのは釣り針をひっかけるため。


▷「パカッ」となる果物。これはよく出来ました。

ご飯やTVや私のエネルギー切れなどの中断はありつつも、ちゃくちゃくと無人島生活。
とはいえ、魚を捕る→調理する→寝る の繰り返しだったので「なんか他のことはないの?」と言ったら、
姪っ子が「いま、スタッフから『笑いが足りない』って言われたので、なにか面白いことをしましょう」と
言い出す。あまりにTVそのままの具合におばちゃんはもう愕然。うへー、TVの影響って怖いわぁ。
一方で子どもの吸収力に感動。
他にも「まだ、シェリー&アンナチームはまだ到着してないので、このチームがリードしてます!」とか
TVの設定が持ち込まれていて、いちいち衝撃を受けたのであった。

夜中に年賀状をほぼ書き終え、その後描きかけだったポケモンを追加。
難易度の高いキャラクターに悪戦苦闘しつつ、ついつい熱中してしまった。

14.01.02

朝から「遊ぼう」攻撃にあいつつ(昨日描いておいたポケモンは気に入ってもらえたようなのでよかった)、
ひとまずお寺へ。かつて、母が厄除けに来たのがきっかけでずっと通い続けているお寺で
いまや私が厄除けのお守りをいただいている。うーむ、すごい。

昼食後、初売りへ。
甥っ子たちとオモチャ売り場に行った際、子どもの頃以来にサンリオの売り場に足を踏み入れる。
キャラクターは違えどグッズの展開などが懐かしくて「うわー、これ昔もあったよー」と少々興奮。

帰宅後は少し年賀状制作をして、合間に甥っ子たちと遊ぶ。
「あと何分かかる?」「じゃあさ、超特急でやってさ、遊ぼうよ」という言葉になんだか笑ってしまう。
もう少ししたら、そんなことも言われなくなるんだろうなぁ。
夜に私が使っていたプリントゴッコが珍しかったらしく、2人とも興味津々。
「僕もやるー」「私もー」と印刷してみたりする。それを見ながら母が
「プリントゴッコのいいところって子どもでも出来ることよね」と話していた。
そういえば、私も小学校低学年の頃には自分で自分の年賀状を印刷していたなぁ。
家族がそれぞれイラスト集から絵を選んで、消耗品を近所のホームセンターに買いにいって、
順番にプリントゴッコで印刷するのが年末の風物詩だった。

「明日も早く起きてね」というリクエストにおののきながら就寝。
私が年賀状を出せるのはいつになるのやら…。

14.01.01 謹賀新年

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

おせちを食べてから、近所の神社に初詣。ここでも、さっさと行ってさっさと帰る我が家。
帰宅後もせっせと年賀状の原稿制作。ようやくカタチになってきた。
甥っ子たちがやってきたらそれどころではなかろう、と制作を急ぐ。

夕方、姉一家到着。
思ったとおり、甥っ子と姪っ子から「遊ぼう」攻撃を受け、年賀状制作はひとまず中断。
2人に頼まれて、ものすごく分厚いポケモン図鑑的なものからピックアップしたキャラクターを模写する。
サクッと描ければいいのかもしれないが、そうも行かず、ひとつ描くのに1時間弱はかかる。
彼らが寝てからも描いて、ひとつには色を塗る。
我ながら、上手に描けました(それにしても何回見てもまったく名前が覚えられない)。

夜中に年賀状の1版目を印刷し終えてから就寝。

13.12.31

朝から正月の買い出し。
といっても、人混みの嫌いな我が家はとにかく用事だけを済ませて、即帰宅する。

デパ地下に開店と同時に入る
 ↓
なまこを買う
 ↓
年始用の羊羹を買う
 ↓
本日の昼食にすべく、パンを買う
 ↓
帰宅

その間、30分程度。うーん、迅速。

帰宅後、近所のスーパーで別の食材を買い出し、
昼食を食べてから、私は年賀状用の画材を買いにいく。
久しぶりに画材店に行ったけれど、意外とその経路は忘れないものだな。懐かしい。
画材を買い出し、本屋を2軒はしごして資料も購入。
ドンピシャな資料はなくて、
毎年のことながら大学でもっと早く探しておけば良かった…と思う。

帰宅してからも資料を探し、ああでもないこうでもないと図案を考える。
年越しそばを食べてからも作業をして、夜更けに就寝。

2013年も終わりです。

13.12.30

随分、音信不通だった地元の友人から連絡があって、今日はその子に会える日だ。
もう一人の友人と3人で待ち合わせ、久しぶりの再会。
でもなんだか「いつも通り」で、よその女性たちのように
「きゃー!ひさしぶりぃ〜(きゃぴきゃぴ♡)」などということにはならないのが我々らしい。

「お待たせ」「どこ行く?」「そこでいいよ」と手近な喫茶店に入って
簡単な昼食を済ませてから延々と思いついたことを話す。
本当に随分音信不通だったのに「ねえねえ、その間どうしてたの!?」とかいう話にもならない。
それはあまり普通じゃないのかもしれないけれど、
多分別にそんなに気になってなくて、お互いが今目の前にいるんだからいいじゃないか、なんて気分なのだ。
のらーくらーと5時間以上同じところで話をして、
じゃ、また近いうちに別の子も交えて会おうねーと別れる。

同級生だった頃と全く変わらないその空気感は、どうやらとても貴重なもののようだった。

13.12.29「みんな」に会う

忘年会は26日くらいだと思っていたけれど、そういえばこれも忘年会なのだった。
個人的には大好きなみんなに会える、ということの方が大きくて、
忘年会だということがすっかり考えから抜けていた。

つい最近会った人も、随分久しぶりの人も入り乱れての忘年会。
みんな変わってなくて、でも随分大人になって、ひとりしみじみと感慨にふける。
気分はまるで親戚のお姉ちゃん(おばちゃん、とは言わないでおくぞ)。
近況を聞いたり、嬉しい報告を聞いたり、とうひょうひょする。

普段はなかなか会えなくても、毎年はどうにも会えなくても、
コンスタントに「集まる場」があることそのものがすごく大切なのだと思う。
セッティングしてくれたみんな、ありがとう。今年もお疲れさま!


▷みんな衝撃のアフロ。でもよく似合ってたよ。

13.12.29【その2】観てきた

『カイユボット』展のあと、昼食を挟んでなにか他にも観に行こうか、と
Maison Helmèsで開催中の『CHRISTIAN BONNEFOI 展』へ。

………いや〜〜、すごかった!!
全く知らないアーティストだったのだけれど、
3人とも自分の中の衝撃と興奮をうまく扱えないほどに
あわあわと落ち着きをなくしてしまった。

彼の言っていることを充分に理解できたとは到底思えないし、
その思考と作品との関係性をきちんと捉えられたとはやはり到底考えられない。
それなのにこんなに打ちのめされて、でもそのことが心の底から嬉しい、と思える
作家の作品に久しぶりに出会った。
深い深い、深い思索のその先に、こんなに軽やかな作品を作れるって一体どういうことだ!

独特の経歴から推測するに彼の作品はその思考を実践した結果としてある。
芸術家はみなそうだ、ということはそりゃあわかっているんだけれど、
彼が自身を「絵画の実践者」と言っていることに深く得心できる感じがしたというか。
作品が単なる到達点ではないような気がして。

いやはや、いいものを観ました。
午前中の『カイユボット』展がかすんでしまうくらいに。
2013年最後の展覧会がこれで本当に良かった。

13.12.29【その1】観てきた

ap嬢とSちゃんと一緒に最終日の『カイユボット』展に行く。
開館したてを狙って行ったけど、それでも結構混んでいて
自分たちを棚にあげながら「みんな、正月の用意とかすればいいのにー」などと言い合う。
とはいえ、ちょい混み程度だったし、『ターナー』展よりもお客さんの態度が
随分大人で控えめだったのでさほどストレスなく鑑賞できた。

印象派の作品はあまり好みではないのだけれど、
カイユボットはなんだか好きだなあ、なんでだろなあ。
多分、光と影のコントラストの具合と、色のある影が好みなのだろうなあ。
実物をたくさんみて思ったのは、彼の作品は不思議な透明感があって、
絵そのものに透明感がある、というよりは
絵と鑑賞者の間に透明な厚い板があるような感じがする。
それは至極透明で、色に濁りを出すようなものでは決してないのだけれど、
「ある」ことだけははっきりしているのだ。

カイユボットの絵画とともに弟が撮影した数々の写真も展示されていて、
当時の街の様子などを生々しく見ることが出来た。
街を行き交う、かつて「いて」でも今はもういない人々の姿を眺めながら、
その不思議さを思う。
だって、この人たちは未来の外国人が自分の姿を見ているなんて想像もできないで
生涯を全うしていったんだもんなあ。不思議だよなあ。
…どうも写真をみる目線が違う気がするがまあよしとする。
それにしても、ISO感度は一体どのくらいなんだろうと思えるくらいに
きめ細かい写真で、それを映像学科出身のSちゃんに話すと
「いやあ、いいフィルム使ってんなーって感じしましたよねー」と言っていた。
さすが、お金持ちだった人は違うんだなあ、などと妙なところで感心したりする。

それにしても、入口に置いてあった展覧会チラシから割引券がことごとく
切られていたのに絶句。なんだかなー、どうかと思うなー。
100円程度なんだからそこはさあ…と3人でげんなりしたのであった。
こういうところに成熟しきれない日本の芸術文化レベルがあらわれている気がしてならないんだけど。