2011.8月

11.08.16 長崎6

帰宅の日。時間があったので朝から残った仕掛け花火に火をつけて遊ぶ。
こんな時間から花火をしていても不審がられないのも長崎独特かもしれない。
(きっとみんな「ああ、残りもんかな」くらいにしか思わないのだと思う)


▷左から「葡萄花」と「五重塔(正式名は忘れた…)」と「幸福灯」

仏壇に手をあわせてから時間に余裕を持って空港へ行き、お土産を観ながら過ごす。
昼食に五島うどんを食べたが、思ったよりも美味しかった。こんなに美味しかったかしら。
飛行機に乗っている時に読もうと本屋で『長崎曼荼羅 東松照明の眼1961〜』(長崎新聞新書)を購入。
各地方のことを知りたいと思ったら、地方出版社の書籍は強い味方だと思う。
濃厚な地方色は「ひと」や「世界」に興味がある人間にとっては至福の味がする。
これからはもっと地方出版社に注目してみよう。


▷機上からの風景

11.08.15 おめでとう!

小学校時代からの一番の親友が無事にベビーを出産したと連絡があった。
母や姉ときゃあきゃあ言いながら盛り上がる。
はー、幸せのおすそわけである。こんな話題なら何回あってもいいな。

親友夫婦らしいとても優しくてステキな名前をもらったベビー、最初の写真はママ似かな?
早く会いに行きたいー。

何はともあれ、おめでとう!!

11.08.15 長崎5ー精霊流し

今日は精霊流しの日。
しかし、昨日からコンスタントに豪雨がやってくるという奇妙キテレツな天気のため、
どうしたものか、とみんなで様子を見守る。

どちらにしても、夕方からなので昼間は鍛冶屋町にある「崇福寺」へ。
中国様式のこのお寺は面白い作りをしているし、お祀りしているものも違うので興味深い。
個人的に気になったのは「千里眼と順風耳」。


▷ちょっとくねくねした狛犬たち。


▷門扉についている飾り。


▷これも扉の飾り。かわいい。

▷………ん!?(ズーム↓)


▷あっ!猫!(雨宿り中)

雨模様だったのは朝からだが、崇福寺を出る際に超豪雨。びっくりするくらいの豪雨。
なにがあった、なにが!とつっこみたくなる。
20分程度待つとようやくおさまったので、行きたかったお店に父と甥っ子と一緒に行く。
観光名所の眼鏡橋近くのそのお店に着いたら「15日は休みます 店主」
……がっくし。 仕方がないので別のところへ買い物に行った母や姉たちと合流。


▷街の和菓子屋さん。盆菓子がきれい。

昼食は「吉宗(よっそう、と読む)」に。久しぶりにここの茶碗蒸しと蒸しずしを食べた。
はー、美味。
父が注文したクジラの刺身(赤身)を甥っ子がいたく気に入ったらしく「美味しいねえ」と
いいながら、よく食べていた。

夕方、結局コンスタント豪雨はおさまらず、船は男性陣が流し場まで持っていくことに。
私は流し場まで行ったことがなかったので残念無念。豪雨の合間をぬってお供えを乗せた船を見送る。
周囲からも雨の合間を縫ってぽつぽつと船が出てくる。
すぐ近くの家からは割合大振りの船が爆竹も高らかに、流し場へ向かっていった。


▷船。先頭の赤いところに「◯◯家」という家名が入っている(都合上削除済)。
 この船は一番小さいのから数えて2番目の小さなもの。


▷船の後ろ姿(段ボールは単なる置場)。提灯には灯りを灯す。


▷先頭の人がこれをたたきながら進みます。


▷出船。船には仏壇にお供えしていたものが乗せられている。

メイン通りになるところでは爆竹も大にぎわいだと思うが、坂の上の家では遠くに時々聞こえるくらい。
(さだまさし氏の歌のイメージで精霊流しを静かな行事だと思う人も多いらしいが、耳栓必携のにぎやかな行事である)
お墓での花火も出来ないので15日にしては驚くほど静かだと叔母さんが話していた。

ずぶぬれ覚悟で出て行った叔父さん達は運良く降られず、船を流すことが出来たらしい。
みんなで夕食を囲んでいるとまたコンスタント豪雨がやってきて、「間一髪だねえ」などと話す。


▷夕飯のもち魚。

11.08.14 長崎4

食べてばっかりいるので、ずっとお腹が満腹。
朝食を食べた直後に「お昼は何にしようか?」と言われても完全に思考停止。

長崎は海があるのでさかなが綺麗。

11.08.13 長崎3

今日はお坊さんが来る日。

初盆の家にまわる日らしく、今日のお坊さんは多忙だと聞く。
朝の9時くらいに来るはず、ということになっていたが、なんとなく親族が8:30くらいに集合。
そうしたら、ちょうど全員集まったタイミングでお坊さん到着。
「わあ!」とみんなで慌てて仏壇の前に並ぶ。
私は実家に仏壇があるわけではないので、お葬式やお盆くらいでしかお坊さんの後ろでお経を聞くことがない。
そんな少ない経験上、足がしびれてもぞもぞするくらいの時間はあるよな、と予想していたのだが…

お坊さんがお経をあげ初め、終わるまでの時間、およそ5分。
親族全員が「え、終わり!?」と心の中でびっくりしていると
お坊さんが早口ですみません、といいながら今日は50件まわると話す。うひゃー。
(それでも少ない方らしい) お話もそこそこに慌てて立ち上がって嵐のように去っていかれた。
やはりこの時期のお寺さんは大変なのである。

その一部始終にあっけにとられていたものの、はたと我に返りみんなで爆笑。
「早かったーー!」「足もしびれんかった!」と盛り上がる。

その後はお参りにいらした方の対応など。
合間合間で仕事をしていたら、甥っ子がPCに興味津々。
絵も描けるよと言ったらこんな絵を描いた。鳥が秀逸。右下にあるのは鐘だそうだ。

夕方からはお墓参りへ。長崎のお盆は長崎のお盆は花火、花火、花火、である。
というわけでお墓参りでも花火。昨日購入した花火はお墓でやるためのもの。
叔父さんがお墓に提灯を立て、独特の黄色の長いお線香でお参りしてから、いざ!
甥っ子姪っ子や、義兄、従妹のダンナ様は初めての経験なので、目を丸くしている。
小さい頃から経験している私たちは嬉々として花火に手を伸ばし、気付けば片手に2.3本持ってたりする(笑)

13日は初盆の家だけなので大したことはないが、それでもロケット花火や爆竹が墓地のあちこちで音を鳴らし、
時々破片がよそから飛び込んできたりもする。
「あいたー」とか「あちー」とかいいながらもお互い様なので、会釈で会話。
1日中花火のことしか話題にしないくらい楽しみにしていたのに、大きい音が苦手な甥っ子姪っ子は泣きそうな顔。
きっとイメージしていた「花火」と違ったんだよね。びっくりしたに違いない。
姪っ子は鳥籠になる仕掛け花火を見せたら、気に入ったらしく少し元気になったけれど。

明日明後日はもっとお墓中で花火が行なわれるので、どうなることやら。


▷墓地からの風景。長崎は坂の道のせいか、空がとても広い。


▷甥っ子が買ってもらった分の花火。これ全部僕がやるんだー!と言っていたけれど…。


▷小さい頃、姉が絶対に買っていた「タコ踊り」花火。今は「エレガンスな銀タコ」というのもあった。


▷永遠の個人的No.1ヒット花火の鳥籠花火。姪っ子も気に入りました。


▷長崎は仕掛け花火が多くて楽しい。


▷お墓に掲げられた提灯。


▷左がうちのお墓、上空には他のお墓から打ち上げられた花火。

11.08.12 長崎2

朝食後、祖母の家(今は叔父の家だ)に移動。
叔父が網戸を取り替える途中で力つきて爆睡していて、脱力(笑)。

着いてから掃除を始め、途中従妹家族がやってくる。
ダンナ様とべビーには初めて会ったのでご挨拶をする。その後も親戚が集合しつつ、掃除掃除掃除。
九州は暑いだろうと思っていたけれど(そして、確かに暑いのだけど)
築50年を越える祖母の家は風通しがとても良くて、意外なほど過ごしやすい。

親戚が集合した時の常で、親世代の思い出話や、私たち世代の思い出話が飛び出す。
そういう話の中で、これまで知らなかった「家」の来し方を知ったりするのでとても興味深い。
最近になって、親にも私と同じように過ごしてきた日々と青春と決断があることを
素直に実感出来ることが多くなった。
それは私がこの年齢になったことと、親がそれを口にする年齢になったせいかもしれない。
目の前に現れるその歴史をいつかあんな風に、こんな風に扱ってみたいと夢想する。
赤の他人の歴史を扱うよりよほど困難だろうけど。

夕方、みんなで中華料理(円卓のやつ)を食べにいき、帰りに花火屋へ。
昔は入口もないような感じだったが、今はガラス戸がたっていた。
私と姉と従妹は久しぶりの長崎の花火屋に大興奮。
「やっぱりこれがないと」だの「これ懐かしー!」だの「これやったよねー!」だのときゃあきゃあ言いながら
躊躇なくカゴに花火を入れていく。花火屋の様子と私たちの盛り上がりに
従妹のダンナ様は「ぜんっぜん、わからん!」と言いながらきょろきょろ。
義兄は「これは懐かしいものなの?」と不思議そう。
甥っ子姪っ子も自分の分を買ってもらって、明日の花火が楽しみでしょうがない。

閉店5分前の入店で、本当に慌てて買ったので「改めてじっくり選びにこないとねー」と
一般的にはわんさかと言っていい量の花火を持ちながら笑う。
長崎の花火はひとりひとり抱えきれないほどの量が普通なのだ。


▷昼食の皿うどん(太麺)5人前。実質7人前くらいある。


▷夕食の中華料理は前菜だけでこんなにある。


▷名物のワンちゃんボール


▷花火屋は基本バラ売り。

11.08.11 長崎1

法事で長崎へ帰省。

両親にとっては勝手知ったる街なので、その後ろをひっついていく。
ちゃんぽんを食べて、やっぱり本場は違うよなーとひと口目で実感する。うまー。
それにしても、独特の街並みだ。
タクシーの運転手さんも1メーターの移動になんの躊躇もなく、優しい。さすが坂の街。

観光客の人が、路面電車の線路上を疾走していく救急車をみて
「そりゃ、そうよねー早いわよねー」と感心していた。

11.08.10

私以外にとってはどうでもいいことではあるのだが、
ワクワクと期待していることがその通りにやってくる、と
思うことは想像以上に傲慢なことだと突きつけられている気がする。

本当に私以外の人間にとってはどうでもいいことで恐縮である。

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◎本日の読了
『海街diary4 帰れないふたり』吉田秋生 小学館

11.08.09 想う日

8月9日は長崎に原爆が落とされた日。
毎年この日は、想う人がいる。

11.08.07 観てきた

カミムラナオコさんの個展『imitation-cosplay-』を観に行く。

「コスプレ」という行為をする人々に興味を持って数年に渡り撮影を続ける彼女。
今は必要に応じて(その必要性も話を聞くととても面白い!)コスプレをすることもあるが
もともと自身もコスプレをしていた、というわけではない。
そんな彼女がどうして「コスプレ」に興味を持ち、どのようなアプローチをしているのかを
詳しく聞いたことのなかった私はあれこれと彼女に質問をし、存分に楽しませてもらった。

多くの人の心をとらえる事柄にはとらえるだけの魅力がある。
たとえ、自分自身の趣味趣向とは違ったとしても、その魅力をつくり出している「もと」が
なんなのかを聴くことは、私にとって本当にエキサイティングで好奇心が刺激される。
不文律のルール、事柄に必要なスキルやこころづかい。
人間の行為にはそうしたものが自然と生まれ、
文化はそのようにしてつくり出されるのだと改めて教えてもらったような気がした。

彼女の作品の根底にはそれを伝えるなにかがあって、
極めて表面的に「コスプレイヤーの写真」だなどと思ってしまうのはもったいない。

それに、ポートフォリオの写真に顕著だが、彼女の写真にはあたたかさがある。
本人の持つ雰囲気そのままに、丁寧で見ているだけでリラックス出来る写真は、
同メーカーの似たようなカメラを持つ私がいかに写真に無頓着に過ぎるかを教える。猛省。

カミムラナオコさんのHP http://colorinkphoto.blog96.fc2.com/