14.01.14

以前観た映画をもう一度観に行く。ただでさえ映画をほとんど観ない私が
同じ映画をスクリーンで2回観るのはかなり珍しいけれど、今日はいいのだ。
いやはや、やはりこの作品すごく好きだな。大満足。

その後、バーゲンだぞ、と言い聞かせてうろうろしてみるものの
服を物色するのはとてもエネルギーがいる。これといった目的もない時は特に。
結局(寝不足もあって)早々に萎えてしまって、帰ることにする。
でも本屋に寄るとそこには長々といられるこの不思議。
まあ不思議も何も、自分の〈ホーム〉ならいつまででもいられるのだ。

帰り際、花を買う。
なんとなくエネルギーが欲しいなあと思った時に
眺めているとやっぱりビタミンカラーの花に惹かれるから
「色」ってすごいなあ。

13.12.29【その2】観てきた

『カイユボット』展のあと、昼食を挟んでなにか他にも観に行こうか、と
Maison Helmèsで開催中の『CHRISTIAN BONNEFOI 展』へ。

………いや〜〜、すごかった!!
全く知らないアーティストだったのだけれど、
3人とも自分の中の衝撃と興奮をうまく扱えないほどに
あわあわと落ち着きをなくしてしまった。

彼の言っていることを充分に理解できたとは到底思えないし、
その思考と作品との関係性をきちんと捉えられたとはやはり到底考えられない。
それなのにこんなに打ちのめされて、でもそのことが心の底から嬉しい、と思える
作家の作品に久しぶりに出会った。
深い深い、深い思索のその先に、こんなに軽やかな作品を作れるって一体どういうことだ!

独特の経歴から推測するに彼の作品はその思考を実践した結果としてある。
芸術家はみなそうだ、ということはそりゃあわかっているんだけれど、
彼が自身を「絵画の実践者」と言っていることに深く得心できる感じがしたというか。
作品が単なる到達点ではないような気がして。

いやはや、いいものを観ました。
午前中の『カイユボット』展がかすんでしまうくらいに。
2013年最後の展覧会がこれで本当に良かった。

13.12.29【その1】観てきた

ap嬢とSちゃんと一緒に最終日の『カイユボット』展に行く。
開館したてを狙って行ったけど、それでも結構混んでいて
自分たちを棚にあげながら「みんな、正月の用意とかすればいいのにー」などと言い合う。
とはいえ、ちょい混み程度だったし、『ターナー』展よりもお客さんの態度が
随分大人で控えめだったのでさほどストレスなく鑑賞できた。

印象派の作品はあまり好みではないのだけれど、
カイユボットはなんだか好きだなあ、なんでだろなあ。
多分、光と影のコントラストの具合と、色のある影が好みなのだろうなあ。
実物をたくさんみて思ったのは、彼の作品は不思議な透明感があって、
絵そのものに透明感がある、というよりは
絵と鑑賞者の間に透明な厚い板があるような感じがする。
それは至極透明で、色に濁りを出すようなものでは決してないのだけれど、
「ある」ことだけははっきりしているのだ。

カイユボットの絵画とともに弟が撮影した数々の写真も展示されていて、
当時の街の様子などを生々しく見ることが出来た。
街を行き交う、かつて「いて」でも今はもういない人々の姿を眺めながら、
その不思議さを思う。
だって、この人たちは未来の外国人が自分の姿を見ているなんて想像もできないで
生涯を全うしていったんだもんなあ。不思議だよなあ。
…どうも写真をみる目線が違う気がするがまあよしとする。
それにしても、ISO感度は一体どのくらいなんだろうと思えるくらいに
きめ細かい写真で、それを映像学科出身のSちゃんに話すと
「いやあ、いいフィルム使ってんなーって感じしましたよねー」と言っていた。
さすが、お金持ちだった人は違うんだなあ、などと妙なところで感心したりする。

それにしても、入口に置いてあった展覧会チラシから割引券がことごとく
切られていたのに絶句。なんだかなー、どうかと思うなー。
100円程度なんだからそこはさあ…と3人でげんなりしたのであった。
こういうところに成熟しきれない日本の芸術文化レベルがあらわれている気がしてならないんだけど。

13.12.22【その2】それ以前、と以後

待ちに待った日。
Segments Project 2013の最終回であるGENESis公演へ。

これまでの公演も存分に楽しくて大好きで、いつだって心待ちにしていた。
毎回、その場にいないと絶対に伝わらないパフォーマンスを全身で感じながら
時には笑いが(ニマニマもケラケラも)とまらなかった。

彼らの第2シーズンが終わってから、Segments Project 2013を受講し、
どんなことを考え、どんな経緯を経てK下さんの時間論があるのか、
そしてそれはどんなものなのか、というのを講義&体験で教わってきた。
(毎回、思うことがたくさんあるんです。言葉に出せていないけれど。)

その講座の最終回が今日。
実は、特に気をつけて講座と公演の関係性を意識して会場にいったわけじゃない(おい…!)。
多分、公演そのものが楽しみという方が大きかったと思う。
けれど、幕があき(実際の幕が上がったのはもうちょっとあとだけど)
パフォーマンスを見ながら「あ、今、私は「以後」だ!」と思った。思ったというか、
心でパチンとはじけたしゃぼん玉の中にその気付きが入っていた、という方が近い。
「あ、」って。

これまでの公演を見ていた私、ではなくて
今、これを見ている私は「セグメンツ的時間論」を経てきた私だ、と。

変わらず存分に楽しんで、イヒヒヒだのケタケタだのと笑って、
やっぱり大好きなことを感じながら、
けれど単にアウトプットされる行為を面白がっているだけじゃない自分。
ちゃんと “セグメントの感覚” が身体に尺度として馴染んでいることを実感できた。
そのことに、思わずニマーとした(トトロが雨音を喜んだような顔で)。

わかるだろうか。
ずっとその周波数を受信する手段を持ち合わせていなかったのに、
気付いたらチャンネルが「それ」にセットされている感覚。
チャンネルを獲得したことにすら、その時初めて気付く体験。
(この説明がわかんねーよ!というツッコミをいただきそうな文章だな。)
何かを学び、習い、新しい尺度や理解が自分の中に定着する時、
それを「まさにその瞬間」として体感することは意外と少ないのだけれど
今回は「瞬間」に出くわしたんだ、と思う。

つまり、私にとって今回は『それ以前と「以後」』を知った記念すべき公演だ。


帰りがけ、以前のSegments Projectから参加しているO氏は前々から
“セグメントの感覚” を持ってGENESisを観ていることを知って、
私もそういうみんなにすこーし近づけたのかなあ、としみじみする。

個人的にはエノキの、狂気を感じる震えぶりとその後しばらく漂うかほりが今日一番のツボ。

13.12.22【その1】観てきた

11月末から12月頭にかけてお世話になった越後門出(かどいで)和紙の展示
自然に寄り添う私の暮らし展」が茅ヶ崎のギャラリー俊で開催されていたので、ap嬢とお邪魔する。
親方の小林康生さんと奥さまに再会し、
また改めて和紙の話、門出の話を伺うことが出来てとても嬉しかった。

世界について知らないことならどんなことでも聞きたくて、
でも(あまりに門外漢過ぎて)何から聞いたらいいのかすらわからない私にとって、
にこにこと軽やかに、けれど大切に、目の前にある和紙の来し方を語り、
それにまつわるエピソードや、更には大切な地元のことを話してくださる親方と
お会いするのは、深く深くありがたい時間だ。
どんな質問だってしていいんだ、とこちらも心軽やかになってあれこれとうかがってしまう。

今日も、また新たな和紙の製法を知ることが出来たし、
まだ見ぬ和紙の制作過程を映像で見せていただくことも出来た。
大満足!! んふー(鼻息)。

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◎本日の1枚
帰りに見かけたお寿司屋さんの看板。

13.12.18【その1】観てきた×2

昼から観劇。しかも2本も。
なんだそりゃ、って思われるかもしれないけれど
そういうこともあるんです。ぬふふ。

ただハッピーなだけの物語ではなかったので、あれこれと考えました。
たくさんの「他者」という存在と「私」というただひとつの存在。
色々と面倒なこともあるけれど、やっぱり関わってたいんだよなー、とか。
誰かの幸せを他の誰かが決めるなんて傲慢だ、とか。
(思考はあっちこっちしますが、それらが全て同時に存在することには矛盾がないのですよ。)


空き時間に大型書店に寄って、最近あまり置かれていない本の入手に成功。
よかった、まだ絶版じゃなくて。

夜は寒くなりました。帰宅する頃にはシャビシャビのものが降ってきていたものな。

13.12.17 観てきた

観たい観たいと思いつつ、行かずにいた『ターナー展』も閉幕間際となりあわてて上野へ。
これまでだったら、混んでそうだしな、と行かなかっただろう展示だけど、
ロンドンへ行って「ああ、ここはターナーのいた国だ」と思えたこともあって
作品を一覧しておきたかったのだ。
理想を言えばロンドンで観られれば良かったけれど(その方が空間も空気もぴったりだしね)、
この展覧会の開催時期的にそうもいかず……。

普段から、多くの人に美術館って面白いと思ってもらえたらいいと思っているけれど、
観に行く側としては、混んでいる美術館は大キライだ。
周囲のノイズに神経を削られて作品と純粋に対峙できないから。
でも、この展示はどうしたって混んでいそうだった。
15時以降は割合空いています、という情報をもとにその頃合いに行ってみたものの、
みんな、平日のこんな時間に何してるんですか!と(自分を棚に上げて)言いたくなる盛況っぷり。
すぐさま、心的バロメーターの運動レベルを0に近いところまで下げる。
そうでもしないと、細かいことにまでイライラしてしまってますますターナーどころではない。

さておき。
若い頃から成功をおさめていたターナーの大規模な回顧展ということもあって
初期水彩画から晩年の“光”まで、多様な挑戦を観ることが出来た。
水彩画は初めて観たように思うけれど、こちらも見事。特に本の挿絵のために
描かれた小品は、その小ささにあわせた繊細な筆致でとても美しかった。
こんな風に描けたらどんなにいいだろう、とその先にある実際の風景を思い描く。

二次元になった風景からどれだけ三次元として取り出せるか、
それは画家の技量もあるけれど、鑑賞者側がどれだけ風景をみてきたかという経験も大きい。
額縁の外に地平線を広げ、平面化された奥行きをぽこぽこと立ち上げる能力は自らの経験が育てる。
想像ではなく実感として絵画から風景を感じるためには
それが大きな役割を持っているなあと絵と対峙しながらそう思った。
まあ、これは現代社会での考え方かもしれないし、
そもそもターナーの絵を見ながら思うことなのかしらんとも思うのだけれど。


人混みにイライラせぬよう、絵を鑑賞したあと、
閉館ギリギリに、あまりにも混雑していて飛ばしてきた辺りに戻る。
すると…天国のような風景。
誰ひとりいない空間でターナーと対峙することが出来た。至福。
やっぱりこうでなくっちゃなあ!と自分勝手なことを思いながらようやく満足。
日本の展示では珍しく、徹底した西洋的な壁面もあいまって
ターナーとの1対1はゼイタクでありました。
天井が低いのは惜しいけれど、今回の展覧会会場はすごくがんばっていて良かった。
(その分、入場料高いけど!!ぷんすか)

そういえば、チューブが発明される前、絵の具は豚の膀胱に入れられていたのですね。
知恵だなー。


その後、O氏とS嬢と夕食。
最終的に超オモシロ中華料理屋に入ってバカうけであった。
あそこは万全の体勢でもう一度いかなくては。

O氏「あ、すいません、焼きまんじゅう下さ……」
店長(食い気味で)「ああ、ああ!!」(と手を振る)
O氏「え?あ、ない??」
店長「テンシンノコックモウカエッタ」(超早口でそういうと超速でUターン)
O氏「え?なんて?笑」
T 「コックが変わった?」
S嬢「いや、点心のコックがもう帰った、じゃないですか」
爆笑。

いやー、おもろい。

13.11.23 鎌倉行

北鎌倉から逗子を歩く。
紅葉を観るか、と決めたものの見頃にはまだ早いようだった。

まずは以前も通ったルートをほぼ同じメンバーで通る。
前に来た時の展望台は曇っていてあまりよく遠くを見通せなかったのだが
この日はとてもよく澄んでいて、はるか富士山も堂々たるお姿。

同じルートを歩いたので、昼食も結局同じところで。
でもここはパンもお肉もおいしいので満足。
思わず、そこで食べたベーコンを購入してしまった。ぐふふふふ。

その後、いくつかのお寺を観てまわり、他にも目についたところに立ち寄る。
お寺はどこも初めて行くところだったけれど趣があってヨカッタ。

それから切り通しを通って逗子に出ようと「ここでいいのかしらん」というような
細い道(でもそれはかつての巡礼のための道だ)をゆく。
その途中で思いがけず「まんだら堂やぐら群」を近くで見ることが出来た。
ボランティアのおじさんたちに解説してもらいながら
まるで集合住宅のような、かつてのお墓をしばし眺める。
普段は立ち入ることが出来ないところなので、ずいぶんとラッキーなことだ。

はるばる逗子まで出たところでご飯でも…と思ったのだが
全くめぼしいところを見つけられなかったので結局鎌倉へ。
さんざんあちこちをさまよって、最初の方にみたお店に入る。
前に何かで見て、食べてみたかったメニューを食べることが出来て大満足。
 

13.11.22 観てきた

gggに『Jan Tschichold ヤン・チヒョルト展』を観に行く。
来週は動けないのでギリギリセーフ。

これまで飽きるほどみたことのある作品はもちろん、
初めて目にする作品があって、そのことがありがたかった。
彼のように人気のある人は作品をあちこちで目にすることがあるが、
そのほとんどは同じものの同じカットだったりするのでそれには辟易していたから。
なにより、手あとの残るレタリングや版下、ラフスケッチなどを見ることが出来て
そのことが一番楽しかった。
もう「いない」人がかつて「いた」のだ、ということを示すものに私はとても興味がある。

その他にも彼が新聞に寄稿した記事や、果ては死亡記事なんかもあってびっくり。
死亡記事が載るほどに、彼は社会に認知されていたのだなと不思議に感動する。
だって、日本ではあまり起こりにくいことのような気がするのだ。


その後、OSMちゃんと夕食。
当分日本を離れるんだし、と食べたいものを聞いて地元の中華を食べにいく。

13.11.21

楽しみにしていた観劇…だったのに気付いたら寝坊した。
どうしようと慌てながら、絶対に間に合わない時間に家を出る。
結局、30分以上遅刻してしまったのだが、劇場の人はにこやかに落ち着いて
対応してくれて大変ありがたかった。
役者さんたちには大変申し訳ないことをしたなと小さくなって席に着く。
が、いつのまにかすっかりひきこまれてそんな自分の失敗も忘れて楽しんでしまった。
あーそうなるとますます遅刻したことが悔やまれる。とほほ。

その後、街をぶらついて例のごとく本屋で長時間を過ごしてから
ふと思いついて映画を観る。最高。気に入りました。