2013.5月

13.05.13 お知らせ

友人の大垣彩さんがグループ展参加しています。
大阪なので、関東圏の方はちょっと遠いですが、
関西圏のみなさん、よろしければぜひ。

PRE_VIEW exhibition

会 期 2013年5月11日-26日(火曜休)
時 間 10:00-18:00
会 場 居留守文庫(〒545-0004 大阪市阿倍野区文の里3-4-29)
    090-6130-4168/06-6654-3932

オープニングパーティー:5/11 17:00-19:00
クロージングパーティー:5/26 17:00-19:00
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主催 : 苦肉(ニガニク)www.niganiku.info
協力:居留守文庫 www.irusubunko.com
フライヤーデザイン:岩田英也

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◎ここ最近の読了
『バイバイ、ブラックバード』伊坂幸太郎 双葉文庫
『ジーノの家 イタリア10景』内田洋子 文春文庫
『書物狩人』赤城毅 講談社文庫
『海月姫』6-11 東村アキコ 講談社

13.05.12

待ちに待った日だったのに、寝坊する。わーん。
というわけで、空いたバスにえっちらおっちらと揺られて
友人たちにあとから合流。

そして運動するだけした彼らと同じレベルでご飯を食べる。
いかん、これではカロリー摂取し過ぎだ!あわわ。


▷天気は上々。


▷お父さんとヘビを見つけた小さな女の子が「ヘビ!」とその発見をM嬢に教えてくれる。
 細くてかわいらしいヘビでした。


▷星がたくさんあるみたいだ。

13.05.11 OZU

『うそだよ。あの顔、うそだよ。
 あ、笑ってるよ。』
〈小津安二郎監督『お早よう』より〉

あるシーンが見たくてO氏に借りた小津安二郎監督の『お早よう』を鑑賞。
DVD・劇場あわせてもかなり久しぶりの “映画” だった。
独特の、とても日本的だなあと思える空気に圧倒されつつも
気付いたらその空気に自分も包まれていて、
作品世界を端から見ているのだけれど、神の視点からというよりは
ただ口を挟まずになりゆきを見守っている隣人のような
不思議と親しげな気分。
ハリウッド映画ではこうはならない、という差異は
なにか大事なことのように思う。

初めての小津映画、大変楽しめました。

それにしても笠智衆氏の居住まい、たたずまいが
とてもかっこよくて惚れ惚れ。
ただ、それ(=かっこよさ)はあまりO氏には共感されなかった。

13.05.08

プロジェクトにおける私の最後の役割の仕上げ作業。
大きな作業でない分、こまごまとデータを整えていく。
プロジェクトはまだ続くけれど、ひとつひとつヤマを越えて
ゆるやかにみんなが拡散していくのがさみしい。

さみしいのはきっと、みんなで一緒に目指していたある目標点を
「締切」を境にして過去に置いてこなくてはいけないからだ。
けれど、心では対象にむかう深化をこのままもっと
時間をかけて取り組みたい、と思ってしまうからだ。

プロジェクトは締切あってこそのもの、とはわかっているし
もっと続けたい、と思うことは自分にとっての栄養なのだけれど、
それでもやっぱりなんだかさみしい気持ちだ。
 
 
 

作業中のところへ、O氏が仕事に来たついでにと、
お願いしていたDVDとあわせて
「ぜひ読むといい」と『海月姫』を持ってきてくれる。
曰く『海月姫』に出てくる「尼ーず」が私を含め、
周囲にいるムサビ女子にしか見えず、その様子を味わってほしいらしい。
というわけで1~5巻を読んでみる。
 
 
 
 
………私たち、こんな風ですか?
(とかいいつつ、思い当たるふしがないでもない。)

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◎本日の読了
『海月姫』1-5 東村アキコ 講談社

13.05.05 今日は休もう

…と言ったK氏は休めていないけれど、
ひとまず他のメンバーは休み。
私は明日までに考えておかなくてはいけないことと、
進めておくべき修正作業。

でも少し外出もして、買い物をあれこれ。
せっかくなので柏餅も買ったりする。


この日持って出た本は読み進めれば進むほど、ドキドキしてくる1冊。
今考えていること、ずっと考えているもの、捉えきれない不定形、
それらを「ぴったり」言葉にする胆力をまだ持たない私にとって
比べものにならないほど深く深く考え、
それ故に(でも、それなのに、ともいえる気がする)
そのこと「そのまま」言い表すことばを持ち得た人は驚異だ。
そして、愛しいほどの戦慄を覚える。
ドッグイヤーも、心に刻むべき言葉も増える一方であることに
涙が出そうに幸福だ。

あらゆる本は「必要」な時に開くようになっているなと改めて思う。
この本は、またいつか開くとしてもまさに「今」私が読む本だ。

13.05.03 お父さんとお兄ちゃんと赤ちゃんとポケモン

引っ越した姉の家に行く。
途中、池袋駅の大混雑の中で気に入っていたストラップの先がもげて
行方知れずになってしまった。よよよ…。
こけしの駅員さんだったから駅が良かったのかも、と思うことにする。


予定よりずいぶん遅くなってしまったものの、無事に到着。
新居がすっきりしているのがとても姉家族らしいなあと思う。
先に来ていた母が姪っ子と一緒につくったちらし寿司が昼食で、
なんだかとても懐かしい。やっぱり母の味は最高です。

その後は甥っ子と姪っ子と遊びまくる。
それぞれ遊びたいことが違うので、その間を私が行き来。
お絵描き→TVゲーム→シルバニアごっこ→ポケモンカードゲームなどなど。

シルバニアごっこにいたっては、うさぎさん一家のうち、
お父さんとお兄ちゃんと赤ちゃんの役を一括で引き受けることになって大忙し。
(ちなみに姪っ子はお母さんとお姉ちゃんともうひとりの赤ちゃん役。)
最初はご飯を食べたり、クレープを買いにいったりとほのぼのしていたのだが、
途中、10年前からアメリカに住んでいたお父さんの弟(20歳;甥っ子の役)がポケモンを連れて
遊びにくる。そして「お土産」にと連れてきた10体のポケモンと、
その弟専用のものすごく強い(らしい)ポケモンが外で戦うことに。
しかも戦い終わらないとうさぎさん一家は家に帰れない。

……なんだなんだ、シュールな設定だな。

自分が小さい頃、どんな風に遊んでいたのか、
設定の詳細まで覚えてはいないけれど、こんな感じだったのだろうか。

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◎本日の読了
『少年ノート』5 鎌谷悠希 講談社
『重版出来!』1 松田奈緒子 小学館
『せどり男爵数奇譚』梶山季之 ちくま文庫

13.05.01 もにゃもにゃ

制作しているデータの再入稿。
一段落して、仲間のところに出向いてみたらキョトン顔のKさん。
…あ、今日は来なくても大丈夫だったのだ。
頭がもにゃもにゃになっていて、スケジュール管理が大ざっぱでいかん。
でもせっかく来たので、と資料をしばらく見ていくことにする。

私が今回(恥ずかしながら)初めて出会った著名な資料は
見れば見るほど垂涎もので、
もっと知りたいと思っていることの多くが散見される。
きちんと読み込めば、今見つめている世界は更なる明るさで見えてくるのに。

そんな歯がゆい気持ちもあるけれど、
読み込めばいいと思うなら、そうすればいいのだ、と思えているから
わくわくはふくらんでいる。

どんなに何かを思っていても、こころもちの具合によって
動ける自分と動かない自分がいる。
でも今は動ける自分がよく働いているようだから
それを働かせない手はないよな、とそのための
より効果的な環境について考えている。


久しぶりにSGさんからお誘い。
お気に入りのごはん屋さんでもりもり食べる。
近況を話したり、今自分が楽しいことを報告しあったり。

SGさんの見つめている未来はもう長いことブレがなく、
その経過をいつも私に教えてくれている。
そして彼女が対象としてそばにいることで、
私の行きたい場所は、明らかなる言葉になることが出来た。
今日そのことを「そうだったんだよなぁ」と思った。

明言化できた「それ」は、
いわゆる「将来」や「目標」ではないから、きっとわかりにくい。
それでも、彼女には「(あなた)らしい」と届いているようです。

13.04.30 推論する

『ある事実をもとにして、未知の事柄をおしはかり論じること。』
手元の「デジタル大辞泉」(小学館)によると、こうある。

今日はある推論が正しかったことを目の当たりにした日。
その感覚は鮮やかで気持ちよく、立ち会えたことをゼイタクだと思った。

ものを知ることや調べることの先にある
この感覚を知っているなら、世界はおもしろさを増幅・深化させながら、
ずっと果てを見せぬままに私たちの眼前に広がっていてくれる。

13.04.29 静かな空間

ここ最近「砂場に座り込んでスコップの先で円錐の穴をそっと掘り進めるような作業」を
ずっと繰り返しているので、あの日はどの日だ?と日にち感覚が鈍っているけれど、
今日は静かな空間で、各自が黙々とそれぞれの作業した日。
みんなに比べて、私の脳みそはあっちいったりこっちいったりしていて
効率的ではないけれど、何度も反芻しながらやることを確認。


至福の空間で、とてもとても美しいものをみる。
とても、とても。
それは繊維の集合とその上に載った黒みの集合であるだけに違いないのに、
どうしてこうも「美しいこと」が純然とせまってくるのだろう。

これはそうしたものが好きな「私たち」の感覚なのか、
それとも「ヒト」なら察知できることなのか…不思議でたまらない。
でもどっちだったとしても、すごいことだと思ってしまう。

形態はごくオーソドックスなのに、素敵だ、とわかる。
「思う」のではなく「わかる」のだ。
そしてこんなものがつくりたい、と願う。
「いいね」「素敵だね」「そうだね」「とてもね」
繰り返し、そんな言葉を交わし続けるのは幸福。

ちなみに私がずっと「おばあちゃん」だと思い込んでいたものは
「タルボット」氏でした。勝手にビックリ。

かくて、エキサイティングな日々です。…が、
Kさんにそんなこと言ったら
「………」っていろんな感情のこもった顔で
凝視されそうだけど。