11.07.07 観てきた

先日お知らせしたタッキーの展示を観てきた。
あいにく本人がちょうど不在の時に行ってしまって会えなかったけれど作品を堪能。

「夢」という彼女が大事にしているモチーフをもとにした軽やかに幻想的な作品と、
思わずズキュンとくるようなユーモアのある作品。その二面性ににんまりとしてしまう。
特に個人的にはユーモアのある作品『I…』というのがかなりツボであった。
あの細かさと展示方法とモチーフの選び方と、すごくよかったなあ。マクロとミクロの視点で妄想して楽しみました。
(どんな作品か気になる方はぜひ実物を見に!)

他の方の作品も個性的でバラエティに富み、
同じことを学んでもこれだけの多様性がうまれるのだというとてもいい例示であった。
金属でこんな表現が出来るのか、とかこれが売っていたら欲しいな、とか
これはどうやって作ったんだろう、とか…知らない世界な分、あれこれと興味深く鑑賞。

学生時代からなんだかんだ言って「モノ」の力には敵わないよなあと思っていたけれど
それをまた思い出す。特に生活に密接な「モノ」たちをつくり出せる手はとても魅力的だ。

11.07.03 観てきた

ポスター等のデザインを担当させていただいた『放浪の天才画家 山下清』展を観に千葉県立美術館へ。
担当の方が、午後は作品の前が2重3重の列になるとおっしゃっていたのだが、行ってみるとまさにその様相!
あらためて山下清という人の知名度と注目度を知ることとなった。

カタログでは多くの作品を何度も観ていたものの、実物ををまとめて観るのは初めてだったのだが、
その緻密さは驚異的だった。年を経るごとに細かさが増し、貼り絵というイメージからは想像できないほど
立体的なのだ。貼り絵って作る人が作れば「立体作品」なのだな。
かといってただ貼り重ねているわけではなく、背景色の中にぴったりとはめ込まれた植物や人物なども見え、
隙間のなさもこれまた驚異的。

ただ、個人的にじっくり観たのは東海道五十三次の作品だった。
フェルトペンで描かれた線描を版画に起こしたものだが、人々には素朴な愛らしさが、
建築物には確かな観察力が感じられて、作者本人が「ふつうの絵」という1枚ですらストーリー性を持っていた。

山下清という作家は、実物を見なくてはいけない作家であった。

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◎本日の読了
『自分をいかして生きる』西村佳哲 ちくま文庫
『RDG はじめてのお使い』荻原規子 角川文庫

11.06.28 暑い

ここ最近、突然暑くなってきた。
こんな時はできるだけ日中に外に出ないようにしているのだが
今日はそういうわけにもいかず、あれこれ用事を済ます。

そうしたらムサビの最寄り駅前にあるパン屋が開いているのを初めて見た。
割と最近出来たところなのだが、売り切れるとお店が閉まってしまう上に
あまりそちらを通らないのでこれまで開いているところに出くわさなかったのだ。
O氏も「入れた試しがない」と言っていたなあと思いながら入ってみる。
天然酵母のパンがメインらしく、こぢんまりとしたパンがちょっこりと並んでいた。
天然酵母のパン(レーズンとくるみ入り)とクマの形をした食パン「くましょく」なるものを
購入。この「くましょく」、こどもに大人気なのではなかろうかと思う。なんともかわいい。

それからムサビへ行ったら関野先生が旅に利用した船が展示されていた。
想像よりもずっと大きい。担当学生だったJさんがこの船をつくるための木を切り出しを記録するために
インドネシアに行ったことが懐かしく思えた。
しっかりと旅をして日本に来たのだなあ、あの木は。

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◎本日の読了
『コメットさんにも華がある』川原泉 白泉社

11.06.27 同期

大学時代の同期・岡田憲明氏が授業に招かれて講義をするということで、
もう1人の同期・Kちゃんと、O氏、I氏と一緒に学生に混ざって講義を聴講。
ここ数年で顔を会わせることが増えたものの、最近の作品をみたことがなかったので興味深かった。
出来うるなら、もっともっと作品とその内容について聞いてみたかったけれど。

それにしても今後、活躍の場がますます広がるであろう職種はまぶしく、
これからこういうことに興味を持つ学生が増えたらいいなあ、と思ったりする。
時代の流れとしては当然増えてくるのだろうけど。
専門のジャンルは異なっているが知らない世界はあらためて面白くて、
自分ももっとテクノロジーに対する造詣を深めたいものだと考えずにはいられなかった。
それが私の専門性になにがしかの影響を与えてくれるかもしれないのだから。
常に学ぶ姿勢を失ったら終わりだな、と改めて背筋を伸ばす。

それにしても彼が話していたように、気がつけば卒業制作から約10年、
ずっと作品の根幹がぶれていないのだから、卒制の影響力というのは計り知れないものだ。
(私も他の友人もその辺りは結局似たり寄ったりだ)
もちろん、当時自分の興味に素直に向き合った結果こそがそういう未来を作っているのだけど。
他の同級生は今、どんなことでがんばっているのだろうなあ。

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◎本日の読了
『太陽の坐る場所』辻村深月 文春文庫
 ▷ここ最近の作品(文庫に限る)はデビュー作ほどの衝撃を感じないかなあ…と
  思っていたが(それでも読ませる力はすごい)、これは存分にひりひりする、
  この作家らしい作品だった。満足。 

11.06.24 富士塚

長谷川佐知子さんの個展『白い家』を観に八丁堀へ行く。
白い空間に白い石彫。どんなことを考えながら作るのか詳しいお話を伺ったことはないが、
ギャラリーに置いてあった雑誌の取材記事を見ながら興味深く拝見。
自然物にはかなわない、という言葉に共感しつつ、その思いにとどまらない姿勢に感じ入る。
白い石彫は、まるで鉛筆でゆっくり丁寧に描いたドローイングのようだった。

その後周辺をぶらぶらしてみたら「鐵砲洲稲荷神社」というのがあった。
神楽殿、百度石、力石、針塚…などなんだかいろいろ揃っている(?)神社であったが
何よりも初めて富士塚を見た。近くまで寄ることは出来なかったが、
解説文によると富士山の溶岩で築かれているらしい。衝撃!
その山頂には末社鉄砲洲富士浅間神社が鎮座するのだそうだ。ほほー。
神社もそうだが、この富士塚も何度か移築・再築を繰り返して今の場所に。
江戸関連の書籍や神社関連の書籍を読んでいると富士塚と出てきて、
「そんなものがあるんだなあ」と思っていたので、実物をみると感慨深かった。


おお、お百度さんだ。


本堂の横になぜか二宮金次郎さんがいた。


富士塚、富士塚(興奮ぎみ)!

さらにその後、あちこちをぶらぶら。
都心ではバーゲンが始まっていて、ふらりと入ったお店でとても好みの服を見かける。
とはいえ30%オフでも2万円を超えられちゃあ、すごすごと退散するのみである。

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◎本日の読了
『風光る』30 渡辺多恵子 小学館

11.06.15 駅貼りと車内広告

オープンキャンパスの駅貼りポスターは先週から、電車内広告は今週から掲示されている。
毎日の生活に必ずしも電車が必要ではないため、まだ見たことがなかったので
おニューのカメラを持って観に行ってみた。

▽まずは鷹の台駅。……おおおおお…ある、あるぞー!と激写。
 この大判ポスターは駅貼りのためのもので5枚だけ大型出力されたもの。うち2枚が鷹の台駅にある。

▽次に国分寺駅。ホームに見当たらないので階段を上がるとそちらに貼ってあった。ここも2枚。

▽そして、中央線に乗車。おおおおお…あった。なんだか不思議な気分。
 こちらは特色指定の2色印刷なので、大判よりも色がずっと鮮やか。

さらにモノのついで、という感じで新宿で下車。
ヨドバシカメラでいくつか買い物をして、本屋で散在。
ヨドバシでは2~3000円台で1時間くらい悩んでいたのに、
本屋では躊躇なく5,000円くらい使ってしまうのは何故なのだろう…。
金額自体は何を買っても変わらないのになあ。人の感じる「価値」って興味がある。

その帰りがけ、ずっと気になっていた鞄屋さんにふらりと入ってみた。
ちょうど新しい鞄を買いたいところだったことが大きいけれど、いい雰囲気の鞄があって、
しかも穏やかで「のせかた」の上手い店員さんが好印象だったので、気持ちよく購入。
あとでわかったけれどその方は店長さんであった。

散財の日ではあったが全体的にとても良い買い物をしたので大満足。

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◎本日の読了
『No.6』#6 あさのあつこ 講談社文庫

11.05.22 マザー牧場

ウシを見て「でかーい!」と言いたくて、周辺の友人7人を誘ってマザー牧場へ行く。
お母様から天才的な雨男性質を遺伝したO氏がいるので、天気は時間を追うごとに怪しくなっていく。さすがである。


サービスエリアのクマの人形焼き店の看板クマ。ゆるみ過ぎ。


不穏な天気をしょった不穏なヒツジ像。


ジンギスカンを食べる食堂のご飯サーバー。ドフッ→ホワリとご飯が落ちてくる。
素晴らしい胸キュンメカ。


アイスは溶けやすく、風で飛んで地面に白い斑点を大量生産。
みんなてんやわんやしながら食べる。


ウサギではなく、ネズミの仲間、マーラ。


温泉が似合いそうなヤギとそのつむじ。反時計回りだ。


むさぼり喰うウマ。


目に見えて迫力のあるヒツジ(毛狩り後)。

11.05.21 愛のある落書き

見る人が見たら「!」という落書き。授業に使う教室の準備室扉に貼られていました。

モデルになったH氏への愛ある落書きでありますが、
本人は「…絶対、男だ。これ描いたの…」と言っていました。

これを見つけた今日は授業1クールの最終日。
学生の作品を見たあとに歴代の名作シルクスクリーンポスターの閲覧。
横尾忠則、田中一光、杉浦康平(これだけシルクじゃないけど)、粟津潔、勝井三雄、板東孝明。
自分たちが刷ったあとだからこそ、そのポスターのすごさがわかる。
ただ「キレイ」とか「カッコいい」とか、ましてや「見たことある!」じゃなく、
目の前の作品を支えているものにも目を向けてくれたら、と思います。

11.05.13[その1]なるほどー。

このパッケージはツボです。


株式会社明治の商品。

11.05.08 観てきた

東京都現代美術館で開催されている『MOTアニュアル2011-世界の深さのはかり方』が最終日だったので
駆け込んできた。知人の冨井大裕さんの作品がとてもよいから見逃すな、と周囲から聞こえてきていたので、
これは観ておかねば!というわけである。

天井が高く真白な壁の空間に、彼のカラフルな作品はとても「しん」とした風で高潔な感じさえした。
特に『ゴールドフィンガー』はまるで宗教画のよう。
多く日常で見かけるものたちがそのたたずまいを変え、そこにあることがよく似合っていた。
なんだかあの空間すべてが冨井さんのすごさ(というと安っぽいが)を示していたと思う。

小品がいくつも並べられたガラスケースを前に、友人と「これが好きだな」「私はこれだな」などと
ささやき合い、「あ、これはメッセージ性高い感じだ」「うん、なんか『わかりやすい』感じだ」と語ったあとで、
そもそも私には冨井さんの作品ひとつひとつの意図(あるいは経緯)を言葉にすることすら
到底不可能なくせに「わかりやすい」と感じることがあるって不思議だよな、と思った。
これは決して具体的に何かがわかっているわけではなく、あくまで 感じ でしかなくて、けれど
それが大事な気がしたり、この感覚は同一作家の作品が複数点置かれていることで
初めて持ち上がってくるものだろうなどと思ったり。
ただ、よくわからないけれど「わかりやすい」感じがあったことは確かで、その感覚はぜんたい奇妙だった。

ちなみに冨井さんはこうHP上で述べている。
『作品とはわからないものである。そして、どの様にわからないかという「わからなさの質」を求めるものである。』

にゃごにゃご。

その他、八木良太さんの作品も気負いなく自然体な感じがして(それは文章がそうさせるところもあるのかも)、
とても素敵だった。この人がどんなものをどんな風に観ているのか、興味がある。
池内晶子さんの作品には思わずため息がもれる。宙に浮く面は地下を強烈に意識させるものだなあと
好き勝手なことを思う。

よくわからない、と言われがちな現代美術だけれど(そして確かにそういう側面もあると思うし、
意図や意味がわかることですっきりしたい、方向性を示唆されたいという人間的な気持ちも否めないけれど)、
観る基準は決してわかるか否かだけではないのだと、実際に作品を目の当たりにすることで実感する。
人間の感受性はそんなに鈍いものではないと思う。


その後、同時開催されていた『田窪恭治展-風景芸術』を観る。
私にとって、名前で作品が浮かぶ作家ではなかったけれど展示内容は興味深かった。
何年もの時間をかけてのプロジェクトとそのためのたくさんの習作、ひとつひとつが面白い。
模型はオブジェといって差し支えがないし、ドローイング1枚とっても美しく、
習作の数々は観る者の脳裏に、作家の手が休むことなく動き続けていることをあらわす。

ああ、こんなラフスケッチを描けたらなあ、などとすっとんきょうなことを夢想する。
若い頃に作られた『オベリスク』シリーズも印象深く美しかったなあ。

観て思ったまま、好き勝手なことを書いてしまったが、とにかく今日はいいものをたくさん観た。眼福。

◎本日の読了
『図書館戦争』有川浩 角川文庫