家の共同階段にヤモリがいた。
いそいで家に取って返し、カメラを持って引き返す。
そーっと近づいて写真を撮るも、暗くてぶれる。
そういえば、こういう機会がこれまでにも何度かあったが、
いっつもぶれていたな…とまたもや家に取って返し、
懐中電灯を持って引き返す。
灯りは嫌だろうか、と思いながら徐々に近づけていくと、
「しょうがないなあ」と思ってくれたのか、そのままじっとしてくれていた。
雨の暗闇の中、階段に居座って写真撮りまくりである。アヤシイ。
理解あるヤモリ氏のおかげでぶれない写真が撮れて大満足。ありがたいことである。

友人のイワブチ嬢の企画で、ヤマダ嬢と3人で生物部活動。
北の丸公園で撮影会である。
朝から鳥の声溢れる公園で緑に分け入り、
ちいさな昆虫やせわしない鳥のシャッターチャンスを狙いまくる。
イワブチ嬢は昆虫の撮影に慣れているため見つけるのも上手な上に、
特徴もよく知っているので「結構じっとしててくれますよ〜」などとアドバイスしてくれる。
公園内の喫茶店で昼食をとってからしばらく撮影をして、
カメラを提げたアウトドアの格好で苦笑しながら丸の内へ。
美味しいソフトクリームを食べたのであった。
一日がとても充実していて、「いや〜良かったねえ」といいながら解散。






▷お堀に白鳥…。いつみても非現実的な光景。
千葉に仕事の打ち合わせに行くついでに、親友に会いにいく。
そのベビーにも2回目のご対面。
絶賛、人見知り中だと聞いていたので泣かれるかなーと思っていたが
ご機嫌でいてくれた。友人曰く「なんかテンションが高いなー(笑)」だったようだ。
お肌のさらさらもっちりっぷりに、とろけそうになる。
その後、千葉市美の「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」展を拝見。
蕭白その人を知らなかったのだが、なんとユーモアと筆力に溢れた人か、と感動しきり。
獅子は妙にコミカルな顔をしているし、鳥類は驚くほど細密。筆致の一部はめまいを起こしかねない雰囲気。
そして、墨絵と色彩のバランスが見たことないほど素晴らしい作品にも出会えて得した気分だった。
もうすぐ終わりだけれど、おすすめの展示。
作業をしている横でTVがついていたので、
何気なくチャンネルを変えたら知り合いが出ていてびっくりした。
……。!? わわっ。 となった。
15分番組のうちの、更に一部だったのでステキなタイミング。
岡本君は変わらずアニメーション制作に向き合っているのだな。
■
今日は関わっている展覧会のリサーチ。
休館中の図書館に場所と蔵書を借りて、少しずつ目の前と頭の中に年表を作ってゆく。
そうしていると分断されていた事柄がお互いに関連性を帯びてくるからたまらない。
あー、幸せ。
■
その前に歯医者に行った。虫歯の治療よりも歯石取りの方がずっと痛いなあ。
家にいるのがもったいないほどいい天気の日。
春がずいぶん近づいているなあと思う。

映画『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』を観た。
1994年、南仏で発見されたショーヴェ洞窟とそこに広がる3万2千年前の洞窟壁画を
3Dのダイナミクスで観られるだけでも価値がある映画だと思う。
3Dで大画面、であることに意味のある映画だった。
しかし3D映像は、いつも観ている世界の見え方とは違う(=疑似世界だ)とわかっているのに、
なんだか自分が今観ているのはリアルなのかそうでないのかふとわからなくなったり、
逆に立体感を失って急に2Dを観ているようにも感じたりして意識の裏の方で「?」と混乱したりもする。
不思議な体験だ。
この映画、展開自体はテーマがあちこちに行ったり、「印象」に過ぎる気もするのだけれど
それをさておいてもヒトという生物としての興奮を覚える作品であります。
考古学って「かつて」に敬意を払う姿勢は控えめかつ情熱的な感じがしていいなあと思う。
(自分たちと違う世界を持っていた人々に対しての寛容、がある。それが必要不可欠な世界なのだろうけど)
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◎本日の読了
『告白』湊かなえ 双葉文庫
『繕い裁つ人』1.2 池辺葵 講談社
『七夕の国』3 岩明均 小学館文庫
打ち合わせのため、本郷へ。
いくつかの提案をして、おおよその流れが決まってきた。
制作していったものをクライアントの前で見せる時は変わらず緊張するが、
気に入ってもらえたようで、ほっとする。
帰りがけ、以前TVで見たSocial cafe「Sign with me」に寄る。
指差し注文でスープのセットを頼み、席に座る。
目の前は大きなホワイトボードでお客さんからのメッセージやお店からのお知らせなどが書かれている。
店員さんは手話はもちろんアイコンタクトをしたり、肩を叩いて注文の品を届けてくれたり。
(こちらが手話をできればもっと会話も弾むのだろうけど)
それらが醸し出す店内の満ち足りた静けさが驚くほどに心地よくて、すごくリラックスできた。
飲食店が穏やかに静かだとこんなに居心地が良いのだとはじめて知ったなあ。空間が存在を認めてくれている感じだ。
何となくここ数日やさぐれた気分だったのだが、その毒気がすっかりデトックスされた心持ちで
とてもありがたかった。
スープもおいしかったし、気になるメニューが他にもあったのでまた寄ってみようと思う。


試みとしてもとても参考になるお店なのでオススメです。
京橋のギャラリー、ask?で開催中の展示『LAY OUT 陣内利博×佐藤哲至×早瀬交宣』へ。
DMに書かれたわたしとぽちのコメントが結構ツボである。
そうそう、この3人ってそういう人間なのよ、と思う。
地下の地下らしい空間を豊かに使った展示はそれだけでワクワクさせるものがあるが、
そこにあるのが彼らの作品だとさらにワクワクする。そういう人たちだ。
入口前にある陣内先生の作品はこれまでずっと手がけてきた作品の延長線上にあるもの。
よく見ると作りは想像以上に複雑で、他人においそれと手伝ってはもらえないというのも頷ける。
あいにくその時、先生は不在だったので詳しい話をすることはできなかったが、今度あらためて聞いてみよう。
それから潜水艦にありそうな雰囲気の扉をがちり、と開けると早瀬君の作品。
2枚のスクリーンを車や歩行者、自転車、犬などの断面が渡っていく。
どこからみるのかがポイントでもあるが、立ち位置によって見えるものが変わってくるのも興味深い。
個人的には2枚のスクリーンから等距離で両方が眼に入る位置まで下がったあたりがよかった。
空間がもっと広かったらその立ち位置も変わってくるだろうし、
本人も話していたけれどスクリーンをどこに何枚にするかもいろいろ考えられる、展開の可能性が広い作品だ。
(投影の問題はあるけれども。)
間に何枚もスクリーン(うすらぼんやりした薄いのがいいかも)があっても面白そうだし、
壁に直接投影でも壁抜け幽霊のようで面白そうだ(作品の意図とずれちゃうかもしれないけど)。
いろんなパターンを見てみたいなと思った。
更に奥の部屋に入ると暗闇に床置きされた大型ディスプレイが設置されている。佐藤君の作品。
ディスプレイ上には「論理虫」なる虫がうごうごしている。1,000匹いるそうだ。
それらがマイクを通して鑑賞者の命令に反応する。
「集合!」「整列!」「バラバラ!」「ミドリ以外は出ていけ」などなど。
それは機械に期待する以上の反応で、まずみんな、そのことに驚いている。
が、この作品でもっと大切な反応は
幾何形態から棒が1〜5本のびた電子部品のようなもの(=ただあるだけでは生き物の形態ではない)が
動いていること、更にはこちらの命令に素直に応じることでその場にいる全員が
まるで観賞魚を見ているようなまなざしを共有することなのだと思う。
ヒトの感覚としては自然に思っても間違いないようだが、よく観察してみるとその状況って不思議だ。
一生懸命動いている(ようにみえる)虫(のようにみえる)にみんなで声援を送る。
いい子だとキャラクター付けをする。
私はここに存在する人間の感覚にとても興味がある。
周囲の環境に意味を作り出す。元々意味があるのではなく、それに意味を付加する行為。
延長すれば約6万年前に行なわれたネアンデルタール人(我々の祖先じゃないけど!)による弔いへも
どこかで繋がるように思えるまなざし。
ヒトが「ヒトとして」生きるその根底に、生物的反応として残されたなにがしか。
かつて生き延びるのにおおいに必要だった反応だと説明付けられるものでもあるかもしれないし、
私はその見解が割合好きだが、現代においてはそれを超えた意味があるように思えもする。
(そして作家のまなざしの先にあるのは後者のような気がした。)
これって一体なんだろう。
佐藤君はいつもそんなもやもやを心に残す作品をつくるので眼が離せない人だ。
…と好き勝手(なのでずれているかもしれないがそれはそれでかまわない)にあれこれ考えながら鑑賞後を過ごす。
こっそりとクリエイトにつながる時間なのであった。
アメリカからの飛行機の中でアカデミー賞を取った「アーティスト」を鑑賞。
いやあ!いい映画だった。友人apとふたりでちょっぴり泣きながら見る。
これは大きな映画館で改めて観たいなあと思えた。
無声映画へのオマージュで、実際この映画もほとんど無声だけれど、
音の使いどころとかがすごく効果的で、オマージュって言うのはマネをすることじゃないんだよなと痛感。
それにしても、いい映画って脇役の人たちがステキなことが多い。
この映画も脇役の人たちの粋なところに泣かされたのであった。
そのほか「The Big Year」「Tower Heist(ペントハウス)」も鑑賞。どちらも面白かった。
バードウォッチングにあんな大きな大会があるとは知らなかった。しかも自己申告制というところが善良だ。
あと、ベン・スティラーかっこよかったな。
友人の隣には若いアメリカ人男性が座っていたのだが、一緒に映画を見ながら
よく声を上げて笑っていた。本当に映画の見方が違うんだなあと興味深い。
きっと彼からしたら、この日本人たちは楽しくないのか!?と思えるんだろうなあ。

▷姪っ子と開店したキャンディ屋さん

▷姪っ子の作った釣りごっこ道具

▷道ばたによく刺さっているサイン。これはガス屋のやつで、下にガス管が通っているしるし。

▷オヘア空港には恐竜の化石(レプリカ)が!


▷空港に売っているリンゴ飴(?) 巨大。
この時点(【その1】)でもまだ9時15分。
このまま直帰するのはもったいないので、国立博物館を覗いてみることにした。
現在開催されている『北京故宮博物院200選』。
「清明上河図」が展示されていた時は入るのにさえ3時間近く並んでいたと聞いて
行く気にもならなかったが、現物展示も昨日まで。
今日なら割合空いているんじゃないかと思ったのである。
入場券を買うのに少し並んだが、それ以外はわりとスムーズに見られてストレスがなかったので大正解。
内容はといえば、上記の話題作がなくても十分満足。
(ちなみに現物はないが複製展示はしている。拡大VTRの方が見やすくて面白かったけど。)
雰囲気を丁寧に作った会場には、
眼でなめ回したくなるような圧巻の絵巻や人間業とは思えない刺繍やつづれ織りの工芸品の数々!
ガラスケースぎりぎりまで近づいても絵画にしか見えないほど精緻な織物って一体なんなんだ!と
鼻息荒く眺める。思わず隣の女性に「織物とは思えませんねぇ」とため息まじりに話しかけたいくらいだった。
(刺繍した場所以外の部分にクジャクの羽根を敷き詰めている服とかもある。なんじゃそりゃ!
でもこれは綺麗なものに当時の人がとても敏感で正直だったということで、その素直さをステキだと思った)
権力があることで生み出されてきた芸術品をみると、権力というものの必要性をふと感じたりする。
権力がなければ残らなかったもの、生み出されなかった技術。それは確かにあるのだ。
それからこの展示では、書の国らしくたくさんの名書が展示されていたが、
よほどわかりやすいもの以外は「書の文脈」を持った人でなければ
良し悪しが全くわからず、奥が深いのだなあと思った。
私のようなど素人からみたら、書きなぐったようにしか思えないものが超一級品だったりする。
かわりにそれらを眺めながらそれにたくさん捺された印ばかり見ていた。
これらは間違いなくピカイチだ。うっとり。
なぜこれほどまでに、「版」を通したものが好きなんだろう。
これはちょっと追求してみるべきことだ。
それにしても、かつてこれほどまでだった技術は一体どこへ行ってしまったのだろうと
乾いたむなしさを隣国に感じつつ鑑賞していたのだが、
帰りに寄った常設展で日本でかつて行なわれ、現在では失われた極上の技術をみて、
なんのことはない、自分のところだってそうじゃないかと思った。
一度生まれた技術がなかった頃には戻れないと、特に科学などでは語られるが
人間の持ち得た手技は平気でなかった頃に戻れてしまうのだ。
それはそこにある「もの」に起因しているのではなく、無形の「行為」だからだろう。
人間は存在するものに対して無頓着だったりするから、なくなってもしばらくは
そのことに気付かなかったりすることも多いしなあ。
今、私達の身の回りにある「行為」たちはどのくらい先まで繋がっていくのだろう。
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なんだかんだで長居してしまったがそれでも14時で得した気分。天気もよくていい気分。
いい気分ついでに駅ビルで立ち食い寿司(!)を初体験してあんみつを食べて贅沢な気分。
早起きは三文の徳というが、それを体現したような1日だった。
それにしても、珍しくよく「待った」日でもあった。