12.03.10 観てきた

京橋のギャラリー、ask?で開催中の展示『LAY OUT 陣内利博×佐藤哲至×早瀬交宣』へ。
DMに書かれたわたしとぽちのコメントが結構ツボである。
そうそう、この3人ってそういう人間なのよ、と思う。

地下の地下らしい空間を豊かに使った展示はそれだけでワクワクさせるものがあるが、
そこにあるのが彼らの作品だとさらにワクワクする。そういう人たちだ。

入口前にある陣内先生の作品はこれまでずっと手がけてきた作品の延長線上にあるもの。
よく見ると作りは想像以上に複雑で、他人においそれと手伝ってはもらえないというのも頷ける。
あいにくその時、先生は不在だったので詳しい話をすることはできなかったが、今度あらためて聞いてみよう。

それから潜水艦にありそうな雰囲気の扉をがちり、と開けると早瀬君の作品。
2枚のスクリーンを車や歩行者、自転車、犬などの断面が渡っていく。
どこからみるのかがポイントでもあるが、立ち位置によって見えるものが変わってくるのも興味深い。
個人的には2枚のスクリーンから等距離で両方が眼に入る位置まで下がったあたりがよかった。
空間がもっと広かったらその立ち位置も変わってくるだろうし、
本人も話していたけれどスクリーンをどこに何枚にするかもいろいろ考えられる、展開の可能性が広い作品だ。
(投影の問題はあるけれども。)
間に何枚もスクリーン(うすらぼんやりした薄いのがいいかも)があっても面白そうだし、
壁に直接投影でも壁抜け幽霊のようで面白そうだ(作品の意図とずれちゃうかもしれないけど)。
いろんなパターンを見てみたいなと思った。

更に奥の部屋に入ると暗闇に床置きされた大型ディスプレイが設置されている。佐藤君の作品。
ディスプレイ上には「論理虫」なる虫がうごうごしている。1,000匹いるそうだ。
それらがマイクを通して鑑賞者の命令に反応する。
「集合!」「整列!」「バラバラ!」「ミドリ以外は出ていけ」などなど。
それは機械に期待する以上の反応で、まずみんな、そのことに驚いている。
が、この作品でもっと大切な反応は
幾何形態から棒が1〜5本のびた電子部品のようなもの(=ただあるだけでは生き物の形態ではない)が
動いていること、更にはこちらの命令に素直に応じることでその場にいる全員が
まるで観賞魚を見ているようなまなざしを共有することなのだと思う。

ヒトの感覚としては自然に思っても間違いないようだが、よく観察してみるとその状況って不思議だ。
一生懸命動いている(ようにみえる)虫(のようにみえる)にみんなで声援を送る。
いい子だとキャラクター付けをする。
私はここに存在する人間の感覚にとても興味がある。
周囲の環境に意味を作り出す。元々意味があるのではなく、それに意味を付加する行為。
延長すれば約6万年前に行なわれたネアンデルタール人(我々の祖先じゃないけど!)による弔いへも
どこかで繋がるように思えるまなざし。
ヒトが「ヒトとして」生きるその根底に、生物的反応として残されたなにがしか。
かつて生き延びるのにおおいに必要だった反応だと説明付けられるものでもあるかもしれないし、
私はその見解が割合好きだが、現代においてはそれを超えた意味があるように思えもする。
(そして作家のまなざしの先にあるのは後者のような気がした。)
これって一体なんだろう。
佐藤君はいつもそんなもやもやを心に残す作品をつくるので眼が離せない人だ。

…と好き勝手(なのでずれているかもしれないがそれはそれでかまわない)にあれこれ考えながら鑑賞後を過ごす。
こっそりとクリエイトにつながる時間なのであった。