2013.6月

13.05.26 観てきた

MOMATで開催中の『東京オリンピック1964 デザインプロジェクト』展を観に行く。
同じ建物の中で『フランシス・ベーコン』展をやっているが
人気の展覧会の上、最終日なので素通りする。あちらはどんな展示だったのだろう。
そういえば後日、観た友人が
「凹んでる時だったから、観たらますます落ち込むかなと思ってたんだけど
 思いのほかスッキリした気分になった」と言っていた。


さておき。
まさに国をあげての一大イベントだった64年のオリンピックに関するデザインワークを
ロゴやポスターをはじめ、開催に必要だったありとあらゆる、こまごまとしたものまで
裏話もふんだんに、たっぷり観ることが出来た。
あれだけのイベント(しかも国際大会)となれば、
本当に「うわぁ、こんなものまで作ったのか!」というようなものもたくさんある。
それをいまや大御所と言われるようなデザイナーたちが手がけているのだ。
当時、ちょうど30代前半。
いまの私と同世代だったと思うと、展示品から伝わってくる熱量に己を省みずにはいられなかった。

デザインに心を砕く、というのはまずは対象をよく俯瞰する、ということ、
そこに必要なことはなんなのか、そのために自分は何をすれば良いのかを順序立てて考えること。
ささやかな対象はもちろん、全体把握すら一苦労の巨大イベントであればなおさらその能力が
求められる。その規模に気が遠くなりながら、当時関わったデザイナーの明晰さに震え、
自分ならどうしただろう、と考えていた。

それにしても、この頃のデザインはいつも「いさぎよい」。
要素をごちゃごちゃと詰め込むことなく、そしてそのことに確信を持って、凛、としている。
見習いたい、と思った。


別の時間に観ていたS嬢と夕飯を食べながら、展示を振り返る。
「ここがすごかった」「ものは言いようだと思った」「原画が見れてよかった」と好き放題話していたのだが、
面白いことに、一番グッときたものが2人も全く同じで笑ってしまった。
決してメインストリームの作品だったわけではないので
これはきっと我々の専門性に依るところが大きいのだろうな。

13.05.25

友人のヨッダールタを囲む会のはずだったのだが、
メンバーのうち1人が入院、1人が風邪、1人が仕事という
なんだか凄まじい状態だったので、延期とする。


写真家のSBMさんにお仕事を依頼、打ち合わせ。
私のぼんやりした話をちゃきちゃきと具体化していただきました。
良いものを作ろうね、という心意気にただただ嬉しくなりました。
さ、私が準備を整える番だ。

13.05.24

13.05.23

昨日受けそびれた健康診断を受ける。
いつものことながら、採血と心電図検査は笑いをこらえるのに必死。
聴力検査は検査員の人がボタンを離す音が「カチッ」て聞こえてるけどいいのかな。
聞こえてるならいいのかもな。