13.05.26 観てきた

MOMATで開催中の『東京オリンピック1964 デザインプロジェクト』展を観に行く。
同じ建物の中で『フランシス・ベーコン』展をやっているが
人気の展覧会の上、最終日なので素通りする。あちらはどんな展示だったのだろう。
そういえば後日、観た友人が
「凹んでる時だったから、観たらますます落ち込むかなと思ってたんだけど
 思いのほかスッキリした気分になった」と言っていた。


さておき。
まさに国をあげての一大イベントだった64年のオリンピックに関するデザインワークを
ロゴやポスターをはじめ、開催に必要だったありとあらゆる、こまごまとしたものまで
裏話もふんだんに、たっぷり観ることが出来た。
あれだけのイベント(しかも国際大会)となれば、
本当に「うわぁ、こんなものまで作ったのか!」というようなものもたくさんある。
それをいまや大御所と言われるようなデザイナーたちが手がけているのだ。
当時、ちょうど30代前半。
いまの私と同世代だったと思うと、展示品から伝わってくる熱量に己を省みずにはいられなかった。

デザインに心を砕く、というのはまずは対象をよく俯瞰する、ということ、
そこに必要なことはなんなのか、そのために自分は何をすれば良いのかを順序立てて考えること。
ささやかな対象はもちろん、全体把握すら一苦労の巨大イベントであればなおさらその能力が
求められる。その規模に気が遠くなりながら、当時関わったデザイナーの明晰さに震え、
自分ならどうしただろう、と考えていた。

それにしても、この頃のデザインはいつも「いさぎよい」。
要素をごちゃごちゃと詰め込むことなく、そしてそのことに確信を持って、凛、としている。
見習いたい、と思った。


別の時間に観ていたS嬢と夕飯を食べながら、展示を振り返る。
「ここがすごかった」「ものは言いようだと思った」「原画が見れてよかった」と好き放題話していたのだが、
面白いことに、一番グッときたものが2人も全く同じで笑ってしまった。
決してメインストリームの作品だったわけではないので
これはきっと我々の専門性に依るところが大きいのだろうな。