13.10.01-10 思い出しロンドン記 02

飛行機の中で『マン・オブ・スティール』を観る。
なんだかいつも寂しげな主人公の具合とか、地球の両親との関係とか
しみじみとするものがあって、じんわり感動しながら観ていたのだが、
後半、「僕は地球の人たちを守るのだ」という決意の元で
敵と大都会で戦いを繰り広げることにあぜんとする。
守りたいと言っていた「地球の人たち」がたくさんいるであろうビルは次々と破壊され、
逃げ惑う人々にはガラスやビルや、ありとあらゆるものが降ってくるが、そんなことにはおかまいなしだ。
飛行機(戦闘機だったかなあ)がビルに突っ込んでいくに至っては、
ああ、あの国は911を体験したのに平気でこの表現をしてしまうのだ、と呆然とするばかりだった。
そしてあの国はこの映画の主人公よろしく「世界の人たち」を守っているつもりなんだろうかと
思ったら、寒々しいことだなあ、とすっかりしらけてしまった。
掘り下げ方がもっと違ったら面白かったかもしれんのになあ。

エンターテインメントだと割り切るべきことなのかもしれないけれど
文化には国民性がにじみ出るのだと改めて実感したのであった。
後日、友人にその話をしたらああいう映画で主人公が「守る(あるいは救う)」人々というのは
「主人公の周りの」人々ってことで、その他一般人が死ぬことに無関心だったりすることは
割と多いらしい。そうか…。