- 2015年1月
- 2014年12月
- 2014年11月
- 2014年9月
- 2014年8月
- 2014年7月
- 2014年6月
- 2014年5月
- 2014年4月
- 2014年3月
- 2014年2月
- 2014年1月
- 2013年12月
- 2013年11月
- 2013年10月
- 2013年9月
- 2013年8月
- 2013年7月
- 2013年6月
- 2013年5月
- 2013年4月
- 2013年3月
- 2013年2月
- 2013年1月
- 2012年12月
- 2012年11月
- 2012年10月
- 2012年9月
- 2012年8月
- 2012年7月
- 2012年5月
- 2012年4月
- 2012年3月
- 2012年1月
- 2011年12月
- 2011年11月
- 2011年10月
- 2011年9月
- 2011年8月
- 2011年7月
- 2011年6月
- 2011年5月
- 2011年4月
- 2011年3月
- 2011年2月
- 2011年1月
- ひとこま谷田新聞
- 日記
Author Archives: gonyori
14.12.12
14.12.11
14.11.24 お知らせ
明日も先週に引き続き、イベントがあります。ぜひとも!
ーーーーー
レクチャー&パフォーマンス シリーズ
イグノラムス・イグノラビムス ムジカ
Ignoramus et Ignorabimus Musica
われわれは音楽について何も知らないし、この先も知りえることはないだろう。
音楽を音楽として成り立たせているものはなんだろうか?
音楽からメロディやリズム、ハーモニーといった要素や「音」さえ取り除いてみると、そこには一体何が残るだろうか?
時間、空間、言語、分節、構成、偶然性、技術……etc.
「音楽」の必要条件に対して果敢に疑問符を呈し続ける鈴木學・木下和重両氏を招いて、
レクチャーとパフォーマンスの連続講座を開催する。
音楽における問いは、美術における問いにも翻案できるだろう。
造形美を禁じてみると、果たして芸術を成り立たせるものはなんだろうか?
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
『音楽と技術』
鈴木學(自作エレクトロニクス演奏家)
レクチャー+パフォーマンス
時間:18:00-20:00
場所:武蔵野美術大学 9号館 3-306C (タスクルーム Red)
WEB:http://ig-ig.org
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
◎
鈴木學 Manabu SUZUKI
2000年、エレクトロニクス技術を用いた自作楽器等の設計制作、それらを使った即興演奏等の活動を開始。
ライブスポット大崎 l-e を中心に活動。
アナログ発振器、デジタル音源、マイコン、MIDI、無線機器、映像信号を応用した作品を制作。
音楽家らかの受託制作も行う。依頼者には、故東山嘉事(美術家)、一樂義光(ドラびでお)、田口史人(円盤店主)、杉本拓(音楽家)、伊東篤宏(optron)、角田俊哉(wrk)らががいる。
参加CD作品等
・Septet//2013 (Pico-05/06)
・Kantoku Collection (Slubmusic, SMCD 18)
・Live installation at loop-line recorded by toshiya tsunoda (Skiti, sk05)
・imai kazuo trio, Blood, CD+DVD (doubtmusic, dmf-124CD / 125DVD)
・IMPROVISED MUSIC from JAPAN 2009
・yui onodera le-jardin (alm45)
14.11.23【その2】平らかな安心感
S本さんの “作業” には、とても平らかな安心感を感じる。
これはなんだろうなあ、と思う。
随分と見慣れてきたということもあるに違いないのだけど、それは大きな要因じゃない。
きっと “意味のないことを意味のないように” というその作業を、S本さんがまさに「そのように」行なうからだ。
人間は自分に、そして自分の行為に意味を持たなければいられないから
なにかを「意味のないように」行為することは言うほど簡単じゃないはずなのに、
S本さんは「そう」していて、見ている私にもはっきりと「そう」感じられるからだ。
ひとがしている行為を見ていることが、まるで座禅でもしているかのような平らかさを心にもたらすなんて
なんだかものすごい(座禅したことないけど(!)、でもそんなふうなのだ)。
空間にものをおく行為の感触をひしひしと感じながら、すっかり安心してしまうなんてことが
この世の中にあるなんて知らなかったなあ。
時おり、坂田和實さんのレイアウトのようだなあ、などと思ったりしている辺り、
まだまだ修行が足りませぬが。
■
そして、S貝さんのメロディは力強いサックスの音なのに、なんだか
地平線までいっぱいに草の揺れる丘でほろほろと涙を流す女の子を見ているよう。
Y子さんの作るご飯はどれもこれも美味しい。なぜだ。
サンドイッチはパンまで自家製。おいなりさんは中身が五目ちらしという贅沢。
14.11.23【その1】アオオサムシ
14.11.17 お知らせ
明日から下記のイベントが始まります。
O氏が企画した友人たちのレクチャー&パフォーマンス。
私はポスターを手伝わせていただきました。
世の中の「いわゆる」がいかに狭量なものか、ということに
いつの間にか気付いている、そんなイベントです。 ぜひ!
レクチャー&パフォーマンス シリーズ
イグノラムス・イグノラビムス ムジカ
Ignoramus et Ignorabimus Musica
われわれは音楽について何も知らないし、この先も知りえることはないだろう。
音楽を音楽として成り立たせているものはなんだろうか?
音楽からメロディやリズム、ハーモニーといった要素や「音」さえ取り除いてみると、そこには一体何が残るだろうか?
時間、空間、言語、分節、構成、偶然性、技術……etc.
「音楽」の必要条件に対して果敢に疑問符を呈し続ける鈴木學・木下和重両氏を招いて、レクチャーとパフォーマンスの連続講座を開催する。
音楽における問いは、美術における問いにも翻案できるだろう。
造形美を禁じてみると、果たして芸術を成り立たせるものはなんだろうか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
11.18 TUE
『セグメンツ:音楽と時間』木下和重(音楽家、ヴァイオリン奏者)
ゲスト: 坂本拓也(プロジェクター/オブジェ)
体験型レクチャー+パフォーマンス
11.25 TUE
『音楽と技術』鈴木學(自作エレクトロニクス演奏家)
レクチャー+パフォーマンス
12.9 TUE
『イグノラムス・イグノラビムス:音楽とは何か』鈴木學+木下和重
ライヴ・パフォーマンス
【時間】連日18:00-20:00
【場所】武蔵野美術大学 9号館 3-306C (タスクルーム Red)
【WEB】http://ig-ig.org
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
14.09.14 秋はきのこ
3ヶ月ぶりの山。
今回は参加メンバーが割と多く7人パーティーだった。
▷登山道に入るまでの道のりには収穫間際のお米。日の光を浴びて本当に金色だ。
ただそれだけでとてもきれい。
久しぶりっていうだけでちょっとドキドキしていたのだけれど、
思ったよりも急登があったりしてぜーぜーいいながら登る。
平地ではまだ夏も引きずりつつの秋だけれど、山の中は空気が随分と秋の匂いで
紅葉するにははやいものの、なんだか心地よい季節の変わり目を感じる。
そこにあるものたちがちゃーんと季節をめぐらせているのだ。
▷山頂にて。真っ正面に富士山が見える(写真的には右手奥)。
ちょうどこの時は雲をかぶっていたけれど、
それでも周囲も含めて山並みは思わず声の出るような気持ちよさだった。
そして。
昨日雨が降ったせいもあるのか……それとも秋だからなのか……
き、きのこが! これでもかってくらいあちこちに生えている。
どれがなにかもわからないけれど、見たこともないような大きなものから、
まるでジオラマのような世界まで。いやあ、おもしろい。
秋って、本当にきのこの季節なんだなあ。
▷すごくクローズアップして見てみたいきのこだ。よくみると点々は立体的だし。
個人的にギリギリセーフ…かな、という点々具合。まるで超有名なあの方の作品のようでもある。
▷ジオラマ感のいちじるしい風景。きのこと苔の関係がほほえましくて、
きのこ団地、って感じだ。この風景はとても好きだったなあ。
▷まるで珊瑚のようなもの。多分きのこの一種だと思う。…多分。
ふと見回すとどっさり生えていて、みんなで「ひえー」といいながら脇を通過。
ガラス細工だか蝋細工だかのようでもあって、作品って言われたら納得してしまいそう。
▷ふかふかのカステラみたいなきのこ。
中がたまご色で美味しそうだけど、多分食べちゃいけないんだと思う。
▷大きい!!本当に大きいのだ。後ろに生えている杉との関係でわかるかなあ。
山での存在感がハンパない。これ、なんだろうなあ。
毎度、山に登るたびに「なんで山に登ってるんだろう…」と思いながらぜーぜーと
苦しんでいるのだけれど、山頂についてしまうと、登りの辛さはコロリと忘れてしまう。
それは山頂の景色の素晴らしさで苦しさが帳消しになってしまう、とかそういうのじゃない。
(いや、山頂は気持ちはいいけれども。)
下りも足をギシギシさせながら下るのに、ふもとについてしまうとその時の辛さは
やっぱりすこーんと忘れてしまうし。
(私が行くくらいの)登山の大変さは、本当に「その瞬間瞬間」だけの苦しさで、
あとに引きずるような種類のものじゃないのだろう。
……ま、筋肉痛は引きずりますけどね。
だからこそ、また行こうと思ってしまうのだろう。
(この「また行こう」の感覚も山は独特なのだ…っていっても伝わらなさそうだけども…。)
苦しさの種類っていろいろあるものだ、となんだか不思議な気分がする。
14.09.13
友人が企画しているイベントのための打ち合わせのため、吉祥寺へ。
ただでさえ、休日は人が多いけれど(思いがけず)お祭りが行なわれていたので余計に人が多い。
それにしても、御神輿が出るようなお祭りがある地域だったのだな、ここは。
カフェの前で順番待ちをしていたら、ちょうどそこがお接待の場所だったらしく、
目の前で御神輿がとまり、担ぎ手の方々が小休止。みんなで思わず拍手。
イベントの打ち合わせをわいわいとして、大まかな進行、準備の項目などを洗い出す。
(TKがザ・サラリーマンだったのにはみんなで感心。さすがだ…)
どんな風になるかなあ。とても楽しみだなあ。
会いたい人たちにたくさん会えるだけでも私は万々歳だけれど、
そんなみんなが思いっきり楽しんでもらえるようにしたいなあ。
◎
その後、hrtとK嬢と夕飯。
こちらも吉祥寺だったので、別の御神輿に出くわした。
あのあと、雷雨になったけれど大丈夫だったろうか。
散々、あーだこーだと話をする。ふたりとも社会に揉まれて大きくなっていて
10年前から知っている私としては感慨深いものがある。
そして10年経っても、こうやって席を同じくして話が出来ることはこんなにも嬉しいのだ。