14.01.11 新年会その2

いつもの仲間5人で鍋をしよう!と年末から話していて
んじゃあ新年会かな、と計画。
昼頃からゆるゆると集まり、ゆるゆると食べながら
ドイツゲームをして盛り上がったりして夕飯時を待つ。
こうやって集まるとドイツゲームが出来てとてもいいなあ。
定期的に会を開きたいくらいだ。

全員揃ったところで時間もちょうど良くなり、鍋開始。
ふわーふわの鳥団子に悶絶しつつ、酔っぱらいたい人は酔っぱらい、
その人たちの発言につっこみたい人はつっこみ、
黙々と食べたい人は黙々と食べ…と相変わらず自由なのであった。
いつもの仲間とおいしいものを食べて阿呆な話で笑い転げて、いとしいいとしい大事な時間。
今年も楽しくお互いがむばりましょう。


▷鍋開始直前の食卓。

14.01.07

本日は七草がゆの日。
今年はぬかりなく前日に七草パックを購入して満足。
行事に関するものって当日になるともはや売っていないのはなぜなんだろう。

14.01.05 新年会

いつもお世話になっている方々と新年会。
こんなにちゃんと新年に新年会することってあんまりない気がして
年末からすでに楽しみだった。

Yさん宅におじゃますると、これぞパーティー!という
とても豪華で素敵なお料理の数々!!むひょー。
みんなの差し入れも加わって盛りだくさん。
14時から始めて、気付いたら終電、というくらいまでのんべんだらりと楽しみました。
笑いすぎたなー。楽しい人たちと楽しい時間、贅沢なことです。


▷この日食べたお料理は食べたことを自慢していいと思う!…ということで。
 チキンはいくつも種類があって、どれも美味しかった。
 あまりの美味しさにレシピのコピーが部屋を舞ったのであった。


▷カツオ!!んまーい。


▷Yさんが某居酒屋で食べた味を研究しつくしてたどりついたサラダ。
 生で食べるホウレンソウって好きだ。


▷ベジタリアン的グラタン。作り立てアツアツって幸せ。


▷ぶっちー差し入れのデザート系サンドイッチ。


▷差し入れの数々とモツ煮込みがたっぷり入っているクッカー。盛りだくさんだ。

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◎本日の一枚

▷うっかり粉々になったウマ、手術後。
「……なんか違わない??」とみんなからの総ツッコミ。
 でも傷口をあわせるとこういうことになるらしい。

◎本日のお言葉
「モダーン」「ユダーン」「ゴダーン」

14.01.04【その1】

久しぶりにパイ生地を作る。
実家だとキッチン周辺も広くてやっぱり快適。
パイ生地は手間らしい手間はないけれど
寝かせる時間が長いので1日仕事になる。
でも初めて作った時、なんでパイがあんなに何層にもなってるのかが
実感できて感動したなあ。
バターをたくさん使うので冬向きの食べ物であります。

そして作ったのはガレット・デ・ロワ。
フェーブは午年ということで騎士モチーフを入れました。

実家の包丁が研ぎたてで切れ味が良過ぎて模様が深くつきすぎてしまった。

13.12.29「みんな」に会う

忘年会は26日くらいだと思っていたけれど、そういえばこれも忘年会なのだった。
個人的には大好きなみんなに会える、ということの方が大きくて、
忘年会だということがすっかり考えから抜けていた。

つい最近会った人も、随分久しぶりの人も入り乱れての忘年会。
みんな変わってなくて、でも随分大人になって、ひとりしみじみと感慨にふける。
気分はまるで親戚のお姉ちゃん(おばちゃん、とは言わないでおくぞ)。
近況を聞いたり、嬉しい報告を聞いたり、とうひょうひょする。

普段はなかなか会えなくても、毎年はどうにも会えなくても、
コンスタントに「集まる場」があることそのものがすごく大切なのだと思う。
セッティングしてくれたみんな、ありがとう。今年もお疲れさま!


▷みんな衝撃のアフロ。でもよく似合ってたよ。

13.12.26

今年は忘年会らしい忘年会が今日だけなのでさっぱりしたものだ。

美味しいものと気の置けない仲間がいたら、もうそれで最高。
他愛もない話をして、たくさん笑って、少しだけ大事な話をして。
しあわせだなぁ。

13.12.17 観てきた

観たい観たいと思いつつ、行かずにいた『ターナー展』も閉幕間際となりあわてて上野へ。
これまでだったら、混んでそうだしな、と行かなかっただろう展示だけど、
ロンドンへ行って「ああ、ここはターナーのいた国だ」と思えたこともあって
作品を一覧しておきたかったのだ。
理想を言えばロンドンで観られれば良かったけれど(その方が空間も空気もぴったりだしね)、
この展覧会の開催時期的にそうもいかず……。

普段から、多くの人に美術館って面白いと思ってもらえたらいいと思っているけれど、
観に行く側としては、混んでいる美術館は大キライだ。
周囲のノイズに神経を削られて作品と純粋に対峙できないから。
でも、この展示はどうしたって混んでいそうだった。
15時以降は割合空いています、という情報をもとにその頃合いに行ってみたものの、
みんな、平日のこんな時間に何してるんですか!と(自分を棚に上げて)言いたくなる盛況っぷり。
すぐさま、心的バロメーターの運動レベルを0に近いところまで下げる。
そうでもしないと、細かいことにまでイライラしてしまってますますターナーどころではない。

さておき。
若い頃から成功をおさめていたターナーの大規模な回顧展ということもあって
初期水彩画から晩年の“光”まで、多様な挑戦を観ることが出来た。
水彩画は初めて観たように思うけれど、こちらも見事。特に本の挿絵のために
描かれた小品は、その小ささにあわせた繊細な筆致でとても美しかった。
こんな風に描けたらどんなにいいだろう、とその先にある実際の風景を思い描く。

二次元になった風景からどれだけ三次元として取り出せるか、
それは画家の技量もあるけれど、鑑賞者側がどれだけ風景をみてきたかという経験も大きい。
額縁の外に地平線を広げ、平面化された奥行きをぽこぽこと立ち上げる能力は自らの経験が育てる。
想像ではなく実感として絵画から風景を感じるためには
それが大きな役割を持っているなあと絵と対峙しながらそう思った。
まあ、これは現代社会での考え方かもしれないし、
そもそもターナーの絵を見ながら思うことなのかしらんとも思うのだけれど。


人混みにイライラせぬよう、絵を鑑賞したあと、
閉館ギリギリに、あまりにも混雑していて飛ばしてきた辺りに戻る。
すると…天国のような風景。
誰ひとりいない空間でターナーと対峙することが出来た。至福。
やっぱりこうでなくっちゃなあ!と自分勝手なことを思いながらようやく満足。
日本の展示では珍しく、徹底した西洋的な壁面もあいまって
ターナーとの1対1はゼイタクでありました。
天井が低いのは惜しいけれど、今回の展覧会会場はすごくがんばっていて良かった。
(その分、入場料高いけど!!ぷんすか)

そういえば、チューブが発明される前、絵の具は豚の膀胱に入れられていたのですね。
知恵だなー。


その後、O氏とS嬢と夕食。
最終的に超オモシロ中華料理屋に入ってバカうけであった。
あそこは万全の体勢でもう一度いかなくては。

O氏「あ、すいません、焼きまんじゅう下さ……」
店長(食い気味で)「ああ、ああ!!」(と手を振る)
O氏「え?あ、ない??」
店長「テンシンノコックモウカエッタ」(超早口でそういうと超速でUターン)
O氏「え?なんて?笑」
T 「コックが変わった?」
S嬢「いや、点心のコックがもう帰った、じゃないですか」
爆笑。

いやー、おもろい。

13.12.12 ぜに麩

新潟の友人MNから「ぜに麩(車麩の小さいやつ)」をいただいたので早速調理してみる。
こういうお麩を使うのは初めてのことなのでネットであれこれ検索。
結果、煮物になりました。

ビジュアル的にはくったくたであんまり美しくありませんが、味はおいしかった。
うーむ、これはすき焼き風だったり、揚げ物だったりにしてみたくなります。
それにしても所変われば…で馴染みのない食材って日本にまだまだたくさんあるなーと実感。

13.11.23 鎌倉行

北鎌倉から逗子を歩く。
紅葉を観るか、と決めたものの見頃にはまだ早いようだった。

まずは以前も通ったルートをほぼ同じメンバーで通る。
前に来た時の展望台は曇っていてあまりよく遠くを見通せなかったのだが
この日はとてもよく澄んでいて、はるか富士山も堂々たるお姿。

同じルートを歩いたので、昼食も結局同じところで。
でもここはパンもお肉もおいしいので満足。
思わず、そこで食べたベーコンを購入してしまった。ぐふふふふ。

その後、いくつかのお寺を観てまわり、他にも目についたところに立ち寄る。
お寺はどこも初めて行くところだったけれど趣があってヨカッタ。

それから切り通しを通って逗子に出ようと「ここでいいのかしらん」というような
細い道(でもそれはかつての巡礼のための道だ)をゆく。
その途中で思いがけず「まんだら堂やぐら群」を近くで見ることが出来た。
ボランティアのおじさんたちに解説してもらいながら
まるで集合住宅のような、かつてのお墓をしばし眺める。
普段は立ち入ることが出来ないところなので、ずいぶんとラッキーなことだ。

はるばる逗子まで出たところでご飯でも…と思ったのだが
全くめぼしいところを見つけられなかったので結局鎌倉へ。
さんざんあちこちをさまよって、最初の方にみたお店に入る。
前に何かで見て、食べてみたかったメニューを食べることが出来て大満足。
 

13.11.22 観てきた

gggに『Jan Tschichold ヤン・チヒョルト展』を観に行く。
来週は動けないのでギリギリセーフ。

これまで飽きるほどみたことのある作品はもちろん、
初めて目にする作品があって、そのことがありがたかった。
彼のように人気のある人は作品をあちこちで目にすることがあるが、
そのほとんどは同じものの同じカットだったりするのでそれには辟易していたから。
なにより、手あとの残るレタリングや版下、ラフスケッチなどを見ることが出来て
そのことが一番楽しかった。
もう「いない」人がかつて「いた」のだ、ということを示すものに私はとても興味がある。

その他にも彼が新聞に寄稿した記事や、果ては死亡記事なんかもあってびっくり。
死亡記事が載るほどに、彼は社会に認知されていたのだなと不思議に感動する。
だって、日本ではあまり起こりにくいことのような気がするのだ。


その後、OSMちゃんと夕食。
当分日本を離れるんだし、と食べたいものを聞いて地元の中華を食べにいく。